2015年12月21日月曜日

龍谷大学社会連携・社会貢献活動報告会2015

 こんにちは、政策学部教務課 野村です。

 12月19日(土)、本学の龍谷エクステンションセンター(REC)主催の「龍谷大学社会連携・社会貢献活動報告会」が開催され、政策学部における地域連携の拠点となっている「地域協働総合センター」もこの会に参加しました。

 「地域協働総合センター」は政策学部・大学院政策学研究科に開設された付置センターであり、政策学部教員の研究成果を大学教育や人材育成に還元するための教育プログラムを開発し、展開しています。

 報告会は3部構成になっており、第1部が記念講演として『地域資源と人材のプロデュース~「おしい!広島県」と「もうひとつの京都」の裏側を覗く~』と題して、株式会社CAP 代表取締役の樫野孝人 氏に講演いただきました。広島県庁にて「おしい!広島県」をキャッチコピーとして地域を巻き込みながら展開している戦略的広報のお話や「もう一つの京都」として古都京都とはひと味違う京都の魅力を“音楽”と“映像”で発信するキャンペーンのお話など「政策」にもつながるような素敵なお話を聞くことができました。

 第2部は分科会として本学での社会連携の取組の事例紹介を行いました。ボランティアとして実施している取組や、学部のゼミで行っている取組など、様々なチームや場所での取組について、実際に取り組んでいる学生が発表しました。政策学部からも「Ryu-SEI GAP」の委員長や各プロジェクトの代表らが登壇しました。政策学部カラーの黄緑のファイルを片手に持ちながら、図や写真、アニメーションの入ったスライドを使っての堂々とした発表でした。発表後の質問についても、それぞれが自分の言葉でしっかりと回答できていてとても立派でした。みなさん、お疲れ様でした!


 第3部の交流会では来場いただいた方々と本学のスタッフ、学生がカフェラウンジに集い、お菓子や飲み物を飲食しながら交流を行いました。本学と地域社会の発展等を目的とした連携協定を締結している和歌山県印南町の方々も本報告会に参加いただき、物産品である、名物「までごはん」と特産トマト「優糖星」を交流会で振舞っていただき、みなさん大喜びでした。取組発表を行ったRyu-SEI GAPの学生も、他のチームの学生等と情報交換や意見交換を行っており、とても有意義な場になったことと思います。

 今回の報告会に参加して、改めて政策学部が様々な社会連携活動を展開し、深く関わっていること、また、その活動に注目をいただいていることを実感しました。
 「地域協働総合センター」を軸とする社会連携活動については、また改めてご紹介できればと思っています。

 
 2015年も終わりに近づき、大学もまもなく冬休みに入ります。みなさんは年末年始はどのように過ごされるでしょうか。政策学部生も帰省する人や旅行に行く人、アルバイトに励む人、色々だと思いますが、この休みでまた新たな気づきや学びを得て、新年から元気に大学に来てもらえたらなと思います。
 それではみなさま、よいお年を。





2015年12月19日土曜日

京都から発信する政策研究交流大会 開かれる!



少し遅れましたが、去る12月6日(日)にキャンパスプラザ京都で開催された「京都から発信する政策研究交流大会」について報告します。この交流大会は、都市が抱える課題を発見し、それを解決するための政策について学んでいる学生、院生が日ごろの研究成果を発表する場として2005年に設けられたもので、今年で11回目になります。当初は政策系の学部・大学院が中心でしたが、最近では政策を学ぶという点で共通する経済学部や社会学部などからの参加も増えてきています。今年は、昨年と比べて口頭発表が55件から65件に、パネル発表も9件から14件にというように大幅に増加しました。発表した大学は12大学にまで及びました。龍谷大学からは政策学部8ゼミ、経済学部1ゼミが発表しました。当日の参加者数も昨年から100名以上伸びて450名を超えました。



 発表で取り上げられたテーマは、「まちづくり」「人口減少」「少子・高齢化」「産業・労働」「環境」「芸術・文化」にかかわるものなど、本当に多彩でした。文献研究を丹念に行うとともに、直接地域や企業などの現場に入り、インタビューやアンケート調査を行うといった、最近ではアクティブラーニング(能動的学習)やPBL(課題解決型学習)などの言葉で表されるような学びのスタイルが定着していることがうかがえました。こうした学びを通じて、学生諸君が社会から求められる能力(課題発見・解決能力、チームで働く能力、コミュニケーション能力など)を身につけていっていることは確かです。
    
 龍谷大学としては、政策学部の前身である法学部政治学科の頃から多くのゼミが発表を行っていましたが、政策学部としても第1期生が3回生になった一昨年から参加するようになり、その年は3つのゼミ(石田、井上、深尾ゼミ)が優秀賞を、昨年は日本公共政策学会賞(金ゼミ)と優秀賞(井上ゼミ)を、そして今年は4回生有志によるゼミ横断的チーム(束ノ間ゼミナール)が優秀賞を獲得しました。ちなみに、大会の最高の賞である京都府知事賞は龍谷大学経済学部辻田ゼミ3回生が受賞しました。

        
          政策学部4回生「束ノ間ゼミ」の発表の様子

 今年の大会では、学生実行委員会に龍谷大学から3名(政策2名、国際1名)が加わり、実行委員長も務めて、大会の成功に大いに貢献しました。学生実行委員会が独自に企画した「若者の政治参加」に関わるワークショップも、京都市会の9名の議員の参加もあり、活発に議論が行われて盛況でした。 

 政策学部では、毎年学内において12月中旬に行われる1回生の基礎演習集合同討論会と11月中頃に開かれる専門演習合同討論会が、学生諸君が最も張り切って勉強する、学びにおける最大の行事になってきていますが、12月初旬に催される政策研究交流大会も京都レベルで他大学の学生とプレゼンを競い合う貴重な機会となっています。2回生、1回生そしてこれから政策学部に入ってくるであろう受験生の皆さんも、来年あるいは将来において是非政策研究交流大会にもチャレンジしてほしいと思います。
                            
この大会の運営委員長を務めた石田徹の投稿でした                   

          


2015年12月16日水曜日

12/19(土)、20(日) 「学生版市民メディフェス」を開催します!

 こんにちは、松浦です。 

 2003年、日本最初のNPO放送局「京都コミュニティ放送」が誕生しました。 京都の町衆、NPO、主婦、大学教員、いろいろな方々が何度も話し合いを重ね た、市民活動を伝える市民自身のラジオ放送です。その開局の様子は全国から注 目され、「メディアの担い手は市民自身だ」という自覚が広がりました。

 同じ頃、そうした意識を共有した人々が集まり、「全国市民メディア交流集 会」を名古屋で初めて開催しました。YoutubeやFacebookなど、ネットを介した コミュニケーションが拡大し、個人の発信が時にはマスメディアを上回る勢い で、影響力を持つ可能性が高まってきていたのです。

 この関心の高まりを背景に、「全国市民メディア交流集会」は、その後も米 子、熊本、横浜、札幌、京都、東京、武蔵野、仙台、上越、大阪と各地から開催 の手が上がり、途中「市民メディフェス」と呼び名を変えて、2014年の刈谷大会 まで毎年盛大に開催され12回続きました。

 2008年の洞爺湖サミットの直後には、世界各地から集結した市民ジャーナリス トの活躍が京都メディフェスで報告され、フランスとドイツをSkyoeでつなぎ、 市民メディアの国際的な連帯の可能性を確かめました。

 2009年の政権交代直後の東京大会では、総務副大臣が「公共放送、商業放送に 継ぐ第三のセクターを認識する」との見解を示し、参加者全員が市民メディアの 存在とコミュニケーションの権利を確認する瞬間がありました。

 また2011年は前年度に開催を約束していた仙台の人々が一度は断念しながら、 被災地の市民メディアがいかに人々を力づけているかを知らせたいと、せんだい メディアテークでメディフェスを開いてくださったことも忘れられません。東北 に生まれた臨時災害放送局を代表して高橋厚さんが語ってくださった山元町のり んごラジオには、メディフェスのあと、多くの参加者が応援に駆け付けました。


 メディフェスは、市民メディアの活躍に光をあて続けてきた12年間の歴史で す。ところが今年、第13回大会には開催立候補がありませんでした。戦後70年と いう意義深い年にどこからも手が上がらなかったのです。そこで、龍谷大学の学 生たちがバトンを受け取り、初の学生主催で次の開催地が決まるまでを「つな ぐ」ことにしたのです。


 今週末、12月19日(土)深草キャンパス和顔館B201で、20日(日)は龍谷大 学アバンティ響都ホールで、「学生版市民メディフェス2015」を開催します。政 策学部の学生が中心となり、法学研究科、経済学部、文学部の学生たちが開催ま での企画運営を担い、全国から高校、大学、大学院、留学生ら、若い世代が参加 申し込みをしてくれました。

 テーマは、戦争、被災地、原発、ヘイトスピーチ、中国残留孤児、等広範囲の社会派ドキュメンタリーが公募で集まりました。完成したばかりの最新 作、各地のコンテスト等で受賞歴のあるもの等、見応えたっぷりです。
上映自体よりも観客と制作者とのディスカッションを重視したプログラムですの で、ぜひみなさまのご参加をお待ちします。

 19日は特別ゲストに、元伏見区在住の小山帥人さんをお迎えします。ベトナム 戦争時、鶴見俊輔さんを含む約1000人の市民が戦地から脱走した米兵を自宅にか くまいました。秘密裡に行われたこの脱走の顛末は、これまであまり語られてき ませんでしたが、小山さんは「メモは取るなと言われたが撮影するなとは言われ ていない」と、脱走兵の映像を撮りメッセージを録音していたのです。1960年代 の反戦運動を紹介くださいます。

 20日は、「メディフェス的女子会」。市民メディアの活動の広がりには「上映 会」が重要だと早くから地域の上映会を育ててこられた下之坊修子さん、農村再 生映画の監督の長岡野亜さん、SEALDsKANSAIの長井優希乃さん、運営委員の西 村紗帆さんと木村夏奈さんが、女性とメディアについて語ります。

 また、今年ガーナで開催された世界のコミュニティラジオの国際大会から、東 北被災地から、神戸から、舞鶴から、京都コミュニティ放送から、そして、戦後 70年をおじいおばあが語り継ぐ沖縄のFMよみたんから、ラジオ運営の意義とご苦 労についてお聞きします。

 
 昨年から町家シネマでマイクを担ってきた学生たちが会場でお待ちします。総 合司会は政策学部第一回卒業生で、NHKアナウンサーの西村唯さんです。町家 シネマで地域のみなさんに鍛えていただいた司会度胸を試します。
 また2日目は、元NHKアナウンサー堀潤さん、元TBSキャスター下村健一 さん、そして、これまでのメディフェス開催地の先輩たちが若い世代の映像を応 援に全国からかけつけます。

 ラジオや映像、新聞などメディアを駆使する学生たちの手作りのメディフェ ス、龍谷大学でどうぞ交流ください。そして、戦後70年の年の暮れ、丁々発 止、スリリングな意見交換をお楽しみください。


学生版市民メディフェスのウエブサイト http://www.medifes.net/

Facebook https://www.facebook.com/medifes2015/

2015年12月15日火曜日

基礎演習合同討論会!

今里です。
去る1212日(土)、政策学部の一大イベント、「基礎演習合同討論会」が行われました。
この討論会は、政策学部1年生の必修ゼミ「基礎演習」のクラス対抗討論会です。
今年は全部で12クラスが「討論」を競い合いました。

討論会では、各クラスは15分の発表を行った後、質問者と対峙して、20分の討論に臨みます。
「討論会」という名の通り、最も盛り上がりを見せるのがこの「討論」。
応答側(発表クラス)と質問側(他クラス)が対峙し(イギリスの下院議会のように)、応答側は、質問側から矢のように浴びせられる質問攻撃を迎え撃つのです。
いかにうまく質問するのか、そしていかにうまく応答するのかが、それぞれのクラスの腕の見せ所。そのために、討論会の数週間前から、各クラスのメンバーは、演習の時間外にも集まり、頭を寄せ合って検討を重ねるなど入念な準備をしてきたのです。

この4月に赴任したばかりの新任教員今里にとっては今回が初めての討論会です。
これまで学生による政策提案コンテストにはずいぶん参加してきましたが、質問側と応答側が対峙して、丁々発止を繰り広げる「討論会」は初めての経験です。
わがクラスの20分間の「討論」は文字通り手に汗を握る20分間でした。

おかげさまで、初挑戦ながら、第1会場の2位をいただくことができました。
ほとんど毎日のように打ち合わせをし、夜遅くまで頑張っていたクラスの皆の努力が認められて、大嬉しかったです。

大学に入ってまだ間もない1年生の発表でしたが、真剣に取り組んだ各クラスの発表は、どれも素晴らしいものでした。
テーマを自分たちで決め、調査を行い、レジュメを作成し、発表の準備をする。さらに、どんな質問が来ても答えられるように、想定問答をつくるとともに、他クラスのレジュメを読み込み「鋭い質問」を考案する。
これらのことにチームで取り組んだみんな。きっと大きな成長を遂げたことと思います。

みんな本当によく頑張ったね!!!




2015年12月9日水曜日

トリノ中央駅のピアノ



矢作です。

貴女はピアノを弾きますか。
私は、楽器はおろか、音楽がまったくダメでした。
次に生まれる時には、ピアノか、ギターを弾きたいな。

トリノ中央駅は、特急列車がイタリア半島のつま先から12時間走って到着する北の終着駅です。プラットホームは、ターミナル形式になっています。
そのプラットホームを抜け、コンコースを過ぎたところに1台のピアノが置いてあります。
「どなたでもご自由にお弾きください」というピアノです。

通りすがりのことですが、いつも、きっと、だれかがピアノの前に座っています。薄汚れたジーンズ姿のおやじだったり、Tシャツに半ズボンのお兄ちゃんだったり、大方、風采の上がらない男たちです。大きな、よれよれの紙袋をピアノの横に置いたりして弾いているのですが、それがだれであれ、とてもうまいのです。どういう家庭環境に育ったのかな、と感心してしまいます。

ジャズだったり、ソナタだったり、私の知らない曲ばかりなのですが、時々、「帰れ、ソレントへ」などのイタリア民謡を弾く人がいます。
そういう時は、取り巻くように立ち聴きしていた人が、突然、歌いはじめることがあります。それがまた、テノールのなかなかいい声なのです。びっくりしてしまいます。
トリノは、貧しいイタリア南部からの移民労働者の町でしたからね、懐かしい故郷の曲に「つい、歌ってしまう」ということでしょうか。

トリノに長期滞在した時の最後の晩に、「弾いているかしら・・」と遠回りして寄ってみました。弾いていました。初老のぽっちゃりデブの、頭髪の薄くなったおやじが弾いていました。楽譜も置かずに弾くのです。
ピアニッシモとフォルティシモが織りなす曲を幾通りも・・。終章を迎えると、感情の高ぶりもあるのか、鍵盤を激しく連弾し、その音響が低い天井のコンコースに響き渡りました。通りすがりの人もしばし立ち止まって目を見張り、耳を傾けていました。

その日は、いつものように知らない楽曲ですが、哀感のこもる短調のメロディーばかりでした。そうしたら突然、ショパンを弾きはじめたのです。いつも、研究室では、ショパンのCDをかけっぱなしにしています。
あしたは日本に帰る、という晩、聴きなれたショパンのピアノ曲。胸にこみ上げて来るものがありました。
ひと恋しいというのか、懐郷というのか。このジェット旅客機の時代にも、望郷というのがあるのですね。少々、わが身が滑稽でもありました。

貴女はピアノを弾きますか。