2010年11月27日土曜日

京都の紅葉が見ごろです

的場 信敬

地域ガバナンス論などを担当する的場です。これまで登場された先生方の多くが、「お勉強」のお話をされましたので、今日は一息ついて、今が旬の「京都の紅葉」をお届けしたいと思います。少し前に、事務局の斎藤さんが龍大の紅葉をお届けしたので、今回は、京都のお寺の紅葉にしましょう。

とはいっても、思いつきで散歩した先で撮ったものですので、超有名どころのすごい紅葉、というわけではありません。写真が趣味というわけでもありませんので上手く撮れているというわけでもありません。それでもやっぱり紅葉はきれいですよ。今回は京都の東、修学院離宮の近くを自転車で走ってきました。



こちらは、860年ごろに立てられた鷺森神社の参道です。残念ながら紅葉はちょっと終わりはじめという感じでしょうか。



ひとつすごい鮮やかなもみじがありました。



こちらは漢詩の大家・石川丈山が建てた山荘(跡)、詩仙堂丈山寺の庭園です。紅葉で知られたところなので、さすがにお客さんが多かったですね。



天気もとても良く大変快適でした。



もっと燃えるような紅だったら良かったのですが、紅葉の絨毯です。



最後におまけで、詩仙堂のお隣にある、八大神社の狛犬と紅葉。ちょっとかわいいですよね?八大神社は、剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘した地にあった「一乗寺下り松」の古株があることで有名だそうです。

いかがでしたか?京都では、本当に毎週末を観光=ホリディにできますよ。皆さんもぜひ龍大で学びつつホリディを楽しんで下さい。お待ちしています!

2010年11月25日木曜日

パリとテッサロニキ(ギリシャ)に行ってきました

石田 徹




このブログでは、皆さん外国に行かれた時の話が多いですが、私の今回の話も外国ネタです。

政策学部、政策学研究科は「地域公共人材」を養成することを教育目標に定めていますが、地域にきちんと足場をおくことはもちろんですが、同時に地球的な視野で幅広く物事を考えることも「地域公共人材」として身につけるべき資質です。そういう意味から、政策学部、政策学研究科の教員は研究の場を国内のみならず国際的にも展開することを重視しています。外国ネタが多いのはそういう理由からです。

さて、10月31日(日)から11月6日(土)まで1週間の日程でフランスのパリとギリシャのテッサロニキに行ってきました。今回の訪欧は、12月10日に龍谷大学で開催される、LORC(地域人材・公共政策開発オープンリサーチセンター)と地域公共人材大学連携事業共催の国際シンポジウムの打合せのためでした。LORCセンター長の白石先生と連携事業RAの大石さんの3人で訪れました。 シンポジウムのテーマは「生涯教育社会実現の向けた職能教育と高等教育の役割について」です。日本の大学、特にその文系学部では、学生が卒業後につく仕事に関わる職業能力のための教育はあまり重視されてきませんでした。職業能力開発は企業が採用後に行うことが当たり前とされていたからです。しかし昨今の就職氷河期の再来ともいうべき就職難の状況に直面して、あらためて高等教育と職業教育のあり方が問い直されるようになってきています。シンポジウムでは、そういう問題にはやくから取り組んでいるヨーロッパの事例について報告してもらい、日本の高等教育と職業教育の今後のあり方に関して活発に議論することになっています。

パリでは、フランス国立工芸院(CNAM)を訪れ、シンポジウムで報告される  Patrick Werquinさんと打合せをするともに、Anne-Marie Charraudさんからフランスにおける職業教育訓練の現状について話をうかがいました。CNAMとは成人教育と生涯教育に特化した国立高等教育機関です。

CNAM


ギリシャのテッサロニキでは、欧州職業訓練開発センター(CEDEFOP)を訪れ、こちらもシンポジウムで報告されるIsabelle Le Mouillerさんと打合せをするともに、彼女とTorsten DunkelさんにEUの職業教育訓練と欧州共通資格枠組の現状について話してもらいました。


CEDEFOP


という具合にハードスケジュールで日程をこなしたのですが、テッサロニキはもちろんギリシャもはじめてでしたので、面談の合間を縫って、テッサロニキ市街を2時間ほどかけて回ってきました。この街は、アテネに次ぐギリシャ第2の都市で、マケドニア王アレクサンドロス大王によって創建され、東ローマ帝国時代に建てられた教会や城壁が多数残され、それらビザンティン様式の建築群がユネスコ世界遺産に登録されています。



ホワイトタワー


アギア・ソフィア聖堂








2010年11月18日木曜日

「地域公共人材」に必要なコミュニケーション能力とは

村田 和代

こんにちは。 村田和代です。 私の専門は社会言語学で、現在は英語と日本語の話し合い談話の研究をしています。

政策学部の教育目標の一つとして掲げているのが、コミュニケーション能力の育成です。さて、みなさんはコミュニケーション能力をどのように定義しますか?

ひとくちにコミュニケーション能力と言っても、それが何かというのはなかなか定義しにくいものです。ともすれば、誰とでも話ができる社交性とか、人前でもはきはき話せる能力といったように、コミュニケーション能力=性格・人間力といった抽象的な概念と結び付けられることが多いように思います。

「地域公共人材」にどのような能力が必要かについて、龍谷大学 地域人材・公共政策開発システムオープン・リサーチ・センター(LORC)で、チーム政策メンバーの土山先生や深尾先生と一緒に研究しています。

協働型社会を構築するために話し合いは必須です。たとえば、地域課題の解決を地方政府単独で行うことは不可能で、地域市民、NPO、企業といったセクターを超えた対話や議論が必要となってきます。こういったセクターを超えた人々による話し合いの研究を進める中で、協働型社会を担う人材には、対話や議論を通して多様な人々を「つなぎ」理解や共感を「ひきだす」コミュニケーション能力が必要であることが見えてきました。単に話し合って結論を導き出すのではなく、話し合いの参加者間にラポール(心理的共感をともなったつながり)を構築し、みんなで協力して課題を解決したり政策を立案する必要があるのです。つまり、政策学部の教育目標に挙げられているように「政策的課題を他者と協力して達成できるためのコミュニケーション能力」です。

政策学部・政策学研究科では、<つなぎ・ひきだす>コミュニケーション能力育成のために、社会言語学の研究成果を生かしたユニークなプログラムを用意しています。学部2回生の前期には、「コミュニケーション・ワークショップ演習」という科目が置かれています。ここでは、単にグループディスカッションを行うだけでなく、その観察を通して、話し合いのプロセスや構造を学びます。話し合いの参加者として何が大切か、いい話し合いとは何かについて一緒に考えましょう。また大学院の科目としては、「コミュニケーション・ワークショップ実践演習」があります。議論の進行役としてのファシリテーション能力を身につける科目です。  どちらの科目も学生の皆さんが主体的に、頭も体も使って体験を通して学修する科目です。  一緒に楽しく学びましょう!

<豆知識> 「コミュニケーション能力 (communicative competence)」:学術的には、1972年にデル・ハイムズ(Dell Hymes)が最初に提唱した言語学の用語です。「文法的知識だけでなく、ある特定の文脈においてメッセージの伝達や解釈、意味の交渉ができる能力」と定義づけられています。

Hymes, D. 1972. On Communicative Competence. In J. B. Pride and J. Holmes (eds) ,Sociolinguisitcs: Selected Readings. Harmondsworth: Penguin Books.

2010年11月15日月曜日

地球環境問題とわたしたちの行動

北川 秀樹

環境政策を担当している北川です。
先月、名古屋で開催された生物多様性条約の締約国会議・COP10では、遺伝子資源の利益配分に関する名古屋議定書、海・陸の自然保護区の面積割合を定めた愛知ターゲットが決定されました。
地球温暖化防止に関する京都議定書と並び、日本の地名を冠した、二つ目の環境に関する議定書が採択され、大変名誉なことと思います。とかく経済発展との関係で、国益が衝突する環境交渉において、不十分ながらも合意に達したことは、地球環境を保全しようという人類の英知と良心の成果と素直に受けとめたいと思います。
私は、今から10年前、オランダのハーグで開催された地球温暖化防止条約第6回締約国会議・COP6に、京都府の職員として参加しました。このときは残念ながら京都議定書の運用ルールについての合意がなされず、たいへん落胆しました。それに輪をかけるように翌年には、アメリカが議定書離脱を表明し、地球温暖化対策の進展に強い危機感を覚えました。しかし、何とか2005年に京都議定書は発効しました。


NGOの土のうで包囲されたハーグ国際会議場(2000年11月)

今月末からメキシコで始まるCOP16では、京都議定書後の地球温暖化対策の枠組みについて話し合われます。地球は一つしかなく、後世代のために良好な環境を残すことは我々に課せられた責務です。アメリカはもちろん、中国やインドのような大国は、経済的な利益のみを追求せず、持続可能な発展という大局的な見地から判断してほしいと願わずにいられません。
交渉では、何が公平なルールなのか議論はつきないかもしれませんが、不可逆的な地球環境の破壊を食い止めるため賢明な選択をすべき時に来ていると思います。
私は、中国の環境問題の研究を専門にしていますが、環境問題は座学でなく、実践が大切だと思っています。特に、隣国中国は世界人口の1/5近くを擁し、急速な経済発展の中で環境への負荷も増大しており、ここの環境悪化は日本へも直接影響します。昨日も中国大陸から黄砂が飛来しましたが、大陸の乾燥と無関係ではありません。このような立場から2002年にNPO法人・環境保全ネットワーク※を立ち上げ、毎年中国内陸部の西安市郊外で植樹活動をおこない、すでに300haの土地に木を植えています。しかし、今年は尖閣諸島の漁船衝突事件が尾を引き結局ツアーの受け入れを断られました。環境問題は国境を超えると思っていただけに残念な思いをしました。


西安市郊外のポプラは20m近くに成長している(2009年11月)

研究、教育、実践活動と環境保全のために微力でも役立っていることに充実感を覚えています。皆さんも是非関心を持ち、一緒に考え、行動しましょう。

※NPO法人の活動に関心のある方はホームページ(http://envkyoto.com/)をご覧になり、ぜひ活動にご参加ください。

2010年11月11日木曜日

秋の気配がしてまいりました

事務室

初めまして、政策学部・大学院政策学研究科設置事務室の斎藤です。

私の主な仕事は、2011年4月の政策学部と政策学研究科学研究科開設に向けて、開設記念のイベント開催など広報活動です。

ブログ初投稿ですが、よろしくお願いします。

さて、最近急に寒くなりましたね。毎年学園祭が終わると秋の到来を感じます。

寒さに合わせて龍大の木々も色づき始め、校舎の色と紅葉がマッチしてとてもいい感じです。



食欲ばかりが先走るこの季節、こういった季節の移り変わりを毎年見ることができるのは幸せだと感じる今日この頃。

ちなみに、龍大の木々の中で一番のお気に入りは紫英館と5号館の間にある木です。



毎朝この木を眺めて出勤しています。なんだかこの物悲しい感じに癒されています。

冬になると葉っぱが落ち趣が出てさらに物悲しい感じに。あぁ、癒される。

これからの時期はおすすめなので、本学にお立ち寄りの際には是非とも見に来てください。

2010年11月9日火曜日

バングラデシュにて

岡本 健資

はじめまして。おそらく「仏教の思想」を担当します岡本健資です。

現在は、文学部講師で、出身も本学仏教学科です。専門はインドの仏教説話、特に紀元前3世紀にインド亜大陸を統一したアショーカ王の伝説を勉強しています。

サンスクリット語やパーリ語、チベット語など、古典語で記された文献を主として扱う私は、実際に南アジアに足を踏み入れることはありませんでした。

ところが、ついに先日、インドに足を踏み入れるのみならず、さらにバングラデシュにまで足を延ばすに至ったのです。そこで、憧れ続けたインドで腹痛に悩まされたことはさておき、皆様が知っているようで知らないバングラデシュの2010年8月時点の宗教事情の一端を、書き記してみたいと思います。

さて、バングラデシュとはどこにある国かご存知でしょうか?バングラデシュはインド東部に隣接した国で、ベンガル湾を囲むガンジス川河口のデルタ地帯を国土に含み、その東南部では、ミャンマーと接しています。人口は2009年度推定で1億4,420万人を超え、その90%以上はイスラム教徒で、ヒンドゥー教徒が少数派であることがインドとの最大の違いの一つです。仏教徒も当然少数派ですが、彼らは東南部のチッタゴンを中心として活動を保っています。その理由は、先に述べた通り、地理的に近接しているミャンマー仏教徒との交流が古くから続いているためです。

イスラム教を国教とするため、仏教徒も彼らの習慣を尊重して暮らしていることがうかがえました。特にラマダン(=イスラム教徒が断食を行う期間)の最中は、仏教徒がイスラム教徒の生活リズムに沿って暮らしているのを見ましたし、彼らがイスラム教徒とともに、ラマダン明けのパーティーを楽しむこともありました。

いろいろな考えを巡らせつつ、私たちは東南部のコックス・バザールにある、ミャンマー風建築の仏教寺院を視察しました。そこで、私たちは次のような光景を目にしました。



イスラム女性の特徴的な装いである、布で頭を覆った女性たちが仏教寺院内に立っています(写真右下)。彼女たちは仏教寺院で何をしているのでしょうか。彼女らはしばらくお堂の外で待っていましたが、堂内に招かれ、中に入って行きました。我々が取材したところでは、この寺院の僧侶は、人々に求められるまま、お守りを渡しているのだそうです。もちろん、お守りはイスラム教徒にも分け隔て無く与えられ、彼らの尊崇をも集めています。

首都ダッカ周辺では、イスラム教徒との軋轢が報告され、不当に土地が奪われたとも聞き及びます。しかし、少なくともここでは、イスラム教徒によって異教の尊格が排斥されることもないようです。このような光景を見ていると、一宗教が他宗教を排斥することが不自然に思えてきます。バングラデシュの片田舎で、さまざまな宗教が一つの地域で共存する可能性を感じることができました。

2010年11月6日土曜日

学園祭が始まりました。

深尾 昌峰

ブログ初登場の深尾です。よろしくお願いします。
さて、今日から龍谷大学では学園祭が開催されています。
今日は私は仕事で滋賀県に出張していたので、プログラムを見ることはできなかったのですが、夕方に大学に戻ってきた時に、今日の片付けをしている多くの学生たちと出会いました。(模擬店をきれいに片付けているのにはビックリ!日によって出店団体が違うのかなぁ、とか、防犯上の理由かな...とは想像を巡らしてました)

さて、学園祭やお祭りって私は「コミュニティ」にとって本当に大切な行事だと思っています。
先般もある自治体で、政策づくりのワークショップをしていたら、多くの住民の方が嘆かれていたのは「お祭りの消滅」でした。
お話を聞いていると、お祭りがなくなったという消失感と共に、出来ていた事が出来なくなった焦燥感、そして何よりもみんなと楽しい時間を過ごす事ができなくなったことへの失望が多いように感じます。
お祭りが消滅するのには幾つかの理由があります。一つは、担い手不足。かろうじてまだお祭りが残っている地域でも、例えば神輿(みこし)をかつぐ人がいないので、一回かついで、その後は台車に乗せて、あるいは軽トラックに乗せて巡行するという話をよく聞きます。
二つ目には、財政問題。私も助成金の審査をしていると、神輿の修理をしたいとか、祭りで使う太鼓の修理をしたいという案件を申請されている場合があります。私が審査してる類の助成金はそういったものに対応していないものが多いので、お断りせざるを得ない事が多いのですが、結構みなさん困っておられる様子がうかがえます。担い手不足と相まって、誰がお祭りを支えていくかという問題に突き当たります。
反対に、お祭りが復活したという話も時々聞きます。少しの間、先述のような理由でお祭りが出来なかったのだけど、やっぱり「やりたい!」という住民のみなさんの気持ちが元になって復活させて、以前にも増して絆が深まったという話も聞いた事があります。

私自身は、新興住宅地に育ったので、実はそういった参加型のお祭りへの思い出というものがありません。
一昨年、徳島の阿波踊りを友人と見に行った時も、「参加型」のお祭りがある地域というのは羨ましいな...と実感しました。
京都の地蔵盆なども、本当にうらやましい限りです。

さて、学園祭に話を戻します。
私の演習や講義を受けている学生を、学園祭の運営スタッフの中に見つけました。
イキイキと活躍する姿に頼もしささえ感じました。
一生懸命、仲間とひとつのことを創りあげる機会って実は日常生活の中ではあるようであまりないのですよね。

企画を考えたり、段取りを組んだり、他者との関係を紡いだり、調整したり...。大学の講義だけでは身に付かないチカラが試される場面でもあります。しかし、それらを先輩からの経験や知恵の伝承をベースに、アレンジし工夫し乗り越えている彼らに拍手です。
彼らにとって、学園祭の担い手になることで、つながった仲間や獲得したチカラを一生大切にして欲しいと思います。

是非、お近くのみなさん、そして高校生のみなさん。熱く燃えている学生の姿を是非見に来てください。
龍谷大学の学園祭「龍谷祭」は深草キャンパスで5日~7日まで開催されています。

学園祭真っ只中!

深尾 昌峰

ブログ初登場の深尾です。よろしくお願いします。
さて、今日から龍谷大学では学園祭が開催されています。
今日は私は仕事で滋賀県に出張していたので、プログラムを見ることはできなかったのですが、夕方に大学に戻ってきた時に、今日の片付けをしている多くの学生たちと出会いました。
学園祭やお祭りって私はコミュニティにとって本当に大切なモノだと思うのです。先般もある自治体で、政策づくりのワークショップをしていたら、多くの住民の方が嘆かれていたのも「お祭りの消滅」でした。お祭りが消滅するのには幾つかの理由があります。一つは、担い手不足。かろうじてまだお祭りが残っている地域でも、例えば神輿(みこし)をかつぐ人がいないので、

是非、お近くのみなさん、そして高校生のみなさん。熱く燃えている学生の姿を是非見に来てください。龍谷大学の学園祭「龍谷祭」は深草キャンパスで5日〜7日まで開催されています。

2010年11月4日木曜日

里山活動のすすめ

谷垣 岳人

はじめまして。保全生態学という講義を担当します、谷垣岳人です。

出身は京都府福知山市です。福知山市は自然豊かな環境で、小学校時代は、野山を駆け巡り本当によく虫とりをしました。この虫は、どの時期にどの場所にいるのかという、地域の見取り図が未だに頭の中に残っています。場所だけでなく、さらにこの木のこの部分ではどんな種類がよくとれるという感覚をもち、地域全体(その当時の手に届く範囲の世界すべて)を遊び場としていました。後に、私がよく遊んでいた空間は、里山と呼ばれる場所であったことを知ります。

お盆の帰省時、記憶の地図を頼りに、かつて胸を躍らせた場所を巡りました。しかし、目当てのクヌギが老木化して集虫力(誤変換ではない)がなくなっていたり、逆に新たなフィールドを発見したりと、時の流れと自然環境の変化を生き物を通じて感じます。

現在、興味の範囲は広がり、昆虫・鳥類・ほ乳類の生態や、その生態の進化プロセスについて、研究しています。生物の生態の謎に迫るアプローチの方法はいろいろあります。DNAの配列情報というミクロの世界から、はるか昔の生態進化の過程を推定できます。さらに実際にフィールドに出て今を生きる生き物の生態を調査をするなど、マクロなレベルまで扱っています。

最近は、人が自然と共に暮らしてきた里山の生き物を調べています(しばらく滞っているブログd.hatena.ne.jp—200504)。里山とは、原生林と都市の中間にある、人の手の入った身近な自然です。これは家の中でも外でもない、縁側みたいなものです。縁側は、その中外のあいまいさゆえ、ふらっと外から人が来て、茶を飲んで帰って行くような、今の生活では失われつつある多義的な空間です。

実際の里山では、人々は薪や柴や山菜をとり、身の回りの植物を用いて民具を作っていました。つまり里山とは、生態系の中に人がいて、自然の恵みを直接感じていた場所でした。このような人と自然の密接な関係が失われてきた近頃、「持続可能なくらしのモデル」として、里山を見直す試みが、市民や行政レベルで行われています。

その最たるモノが、2010年10月に名古屋で行われた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の期間中に日本が世界に向けて発信したSATOYAMAイニシアティブです。SATOYAMAイニシアティブでは、かつての日本の里山にあった、人と自然の持続的な関係性に着目しています。それを発展させ、日本も含めた世界中の様々な地域において、伝統的な自然利用の方法に学び、また現代に合う形に変えて、土地と自然資源の適切な利用や、管理の方法を探り実践していくことを目指しています。その実践の中で、自然を保全し、また人間も豊かで幸せな生活をおくることを目標としています。

龍谷大学は、瀬田キャンパスに隣接する「龍谷の森」を所有しています。この森はかつての里山で、地域住民・大学生・行政など様々な主体が里山保全活動をしています。大学生を対象とした野外実習としてのフィールドだけでなく、私が世話人をしている市民ボランティア団体「龍谷の森」里山保全の会も活動しています。このように「龍谷の森」では、世代を超えた人々を結びつける縁側的な里山利用(現代的里山利用)を目指しています。

ぜひ皆さんも、人が自然と再び共に暮らす、縁側的里山利用について、一緒に考えてみませんか。