3月8日に恒例の政策学研究科の研究報告会が開催され、修了生の研究発表を聞く機会がありました。この機会に、研究について雑感を述べてみようと思います。
院生や学生に論文の指導をする場合、まず彼らの問題意識に基づき研究の方向性、Orientationを定める必要があります。Orientationというのは、西欧のキリスト教社会では教会を建築する場合、十字架をどの方向に向けて建てるかが問題になりますが、イエスが誕生したエルサレム、東(Orient)の方角に向けて十字架を建てるという教会建築学上の用語として使われ、方向付けという意味合いで使用されるようになっています。論文の指導で研究の方向性が定まると、第一段階は成功です。
次に、この研究主題の分析枠組み、論点を整理するために、院生や学生の潜在能力(Potentiality)を引き出すDevelopmentの段階があります。Developmentという用語には、多様な意味がありますが、写真用語では現像という意味があります。フィルムに映っている像に現像液をかけて像を顕在化させるという意味です。指導を通じて院生、学生の潜在能力を引き出す現像液の役割を果たすことができれば、大成功ということになりますが、これがなかなか難しい指導になります。
つまり院生、学生の側で指導してもらえるという受け身の姿勢ではなく、研究を積極的にやろうという意欲、問題意識をもって真摯に研究に取り組むという姿勢や内発性がないと、指導する側の現像液の役割を刺激することにはなりません。
矛盾するようですが、「学問研究に指導なし」と言うことで、論文の執筆には、内発性をもって研究に取り組む姿勢・心構えが必要不可欠であり、また、文章を書くことは恥をかくことと自覚して、推敲に推敲を重ねることが非常に大切です。
では、研究とは本来どうあるべきなのでしょうか。これが研究だと言える著書を一冊挙げるとしたら、田岡良一著『大津事件の再評価』(有斐閣、1976年)を挙げたいと思います。本書は、「司法権の独立」という児島惟謙に関するこれまでの通説に対して新たな視点を提示し、1977年度「毎日出版文化賞」を受賞しています。
本のタイトルの「大津事件」は、1891年(明治24年)、訪日中のロシア帝国ニコライ皇太子が、大津で警護の巡査津田三蔵に襲われた事件です。この事件で、軍事大国ロシアとの関係悪化を恐れた明治政府は、刑法の「皇室ニ対スル罪」を適用して津田を死刑にすることを望んだのに対して、大審院院長児島惟謙は、普通人に対する謀殺未遂罪の適用を主張し、政府による裁判干渉を退け「司法権の独立」を守ったとされています。
国際法学者の田岡良一は、本書において、大津事件に関する文献を渉猟するとともに、綿密な現地調査を行い、司法権の独立を守ったとする従来の通説に対して疑義を呈しています。児島の主張は、立法、行政は裁判所の判断に干渉できないという「司法権の独立」の思想に基づくものではなく、刑法の「皇室ニ対する罪」をロシア皇太子に適用すべきでないとする児島自身の天皇崇拝思想に基づくものであると、関係資料を検証して通説に反論しています。
最近、戦後改革の過程で高級官僚の適格審査を兼ねて一般国民をも対象に実施された課長級以上の公開競争試験(「S―1」試験)に関する研究(『龍谷法学』45巻4号、2013年)を発表する機会がありました。「S-1」試験の実施に至るまでの過程や試験結果などを一次資料に基づき再検討して、いくつかの新しい知見を見いだすことができ、改めて一次資料の重要性を認識しました。
研究に取り組む場合、通説とされているものに疑問を抱いてこれまでの評価を再検討したり、文章を読んで次に読み進めない「つまずき」などに気付いたりすることが非常に重要な論点になります。期待した研究成果を得ることは容易ではないと思いますが、研究は「千里の道も一歩から」ということで、やはり毎日の積み重ねが大切です。お互いに頑張りましょう!