2016年2月10日水曜日

最近読んだ本から2冊をおすすめします。


投稿者 中村 剛治郎(政策学部教授)2016.2.10.



(1) 地域経済学や地域経済政策を担当する中村剛治郎です。ある年の私の授業で、経済についてどんなイメージを持っていますか、と履修学生に尋ねました。「経済というと、お金の話ですね、自分はお金よりももっと大事なものがあると考えるので、経済には関心ありません」という学生が多くて驚きました。お金儲けの仕事より、社会の福祉、まちづくり、環境など公共的な分野で、社会に貢献する生き方がしたいという学生が政策学部では多いことの反映でしょうか。たいへん素晴らしいことではあります。
同時に、経済はお金の話というのは一面的にすぎます。経済の本質や現実、その動向や経済への働きかけの方法を知らずしては、就職も難しいし、現代経済のあり方に関心をもち、対応したり、変える働きかけをしたりすることなしには、社会貢献の生き方も容易でありません。経済以外の問題の背後に、あるいは、根底に、経済のあり方の問題があることをつかむことは必須です。
専門領域だけに関心があるなら、専門学部に行った方がよかったかもしれません。政策学部に入ったことのメリットは、演習を中心とする専門領域での考え方や行動力だけでなく、地域経済学的思考を含む多面的総合的に考える力、両方を併せ持つ「政策学力量」を身につけることができる、それによって複雑な現実に対応できないタコツボ的な専門知識の狭さを超えるというところにあります。政策学部に学ぶメリットを生かしてほしいなあ、もっと地域経済に関心を持ってほしいなあと、いつも願っています。
経済への関心をもつことは、経済学の入門書から始めるというのが経済学部では常識でしょうが、政策学部でそれが苦手な人は、教科書から入らず、直接、現代経済に関心をもつ、現代経済の動きについてのいろいろな見方、問題提起を知ることから始めてよいのではないでしょうか。誰かの見方を鵜呑みにせず、いろいろな見方があることを知り、どれが真実をついているのだろうと、自分で考えることが重要です。
1990年代初めのバブル崩壊以降、日本経済は長期停滞に陥っています。皆さんは、その中で生まれ育っていますから、多くの人が希望を持てた高度成長期に青春時代をすごした世代の人たちとは、発想も行動も違うかもしれません(ほら、ここでも経済の問題が根底にあるでしょう)。ところで、日本経済の長期停滞傾向というが、実は、そこから脱却するために必要と称して米国式の構造改革を基調とする政策がいろんな領域で大々的に行われてきました。なのに、なぜ、いまだに長期停滞にあるのでしょうか。構造改革がまだまだ不十分だから脱却できていないのでしょうか、それとも、日本で米国型の構造改革を持ち込むことが間違っているので、政策が余計に問題を悪化させるのでしょうか。福祉やまちづくりや環境、教育などの改善は、新自由主義的な構造改革のいっそうの推進が不可欠という議論もありますが、あなたはどう考えますか。
世界はいまイノベーションの時代といわれています。情報通信技術革命の成果はいよいよ社会にあふれ出て来ています。遺伝子医療の時代が到来しつつあるともいわれます。現代の旺盛な技術革新で日本経済は長期停滞を脱し、再び、成長の時代が来ると期待すべきなのでしょうか。日本資本主義の経済成長を求め続けるという発想が古いのではないか、現代のイノベーションは、新しいポスト資本主義社会(古い社会主義という意味でなく)への移行を準備しているとみるべきなのでしょうか。皆さんはどう考えますか。
今回のブログでは、この2つの問題に関わって、私が最近読んだ本で興味深かった本を紹介したいと思います。是非読んで、私の授業の時にでも、感想をお寄せください。楽しみにしています。

(2) 現代経済では、少数の富裕層に富が集中し、多くの人々が貧困に苦しんだり、お金に振り回されたりする傾向が顕著です。格差社会化というより階層社会化が強まっているようです。20世紀後半の福祉国家の下で多数派になった中間層が、没落しつつあります。資本主義社会は、中間層が分厚いことによって健全さを保てるわけですが、現代社会では、中間層の多くが底辺労働層化しています。それが、資本主義経済に有効需要不足をもたらし、供給過剰となり、現代経済の長期停滞傾向を強める結果になっています。
政府や経済界は、デフレ脱却、成長戦略が重要だと言って、貿易の自由化だけでなく金融の自由化、資本の自由化、規制緩和や民営化、競争促進など新自由主義的な構造改革を基調とする政策に励んでいます。所得再分配の財政政策を抑えて、金融政策主導の経済政策を採用し、従来、あまりにリスキーなのでここまでやることはなかったというほどの超金融緩和を行って、通貨安と株価上昇をめざし、インフレ経済に転換させようとしています。豊かな先進国のはずなのに、なんだか、お金お金の経済の時代であるかのようになっています。
グローバル経済の時代に先頭を走った米国経済に対し、日本は立ち遅れている、停滞している、その原因は、アメリカのような効率性、自己責任、競争がすべてといった自由な市場に変わるための構造改革の取り組みが遅れていることにある、日本の労働市場は正規雇用の解雇が難しいなど保護がいっぱい、アメリカのレイオフ制度のように、景気が悪ければすぐに解雇し、景気が良くなれば雇用を増やす、正規雇用を非正規雇用と同様の扱いにして格差をなくすこと(非正規雇用を正規雇用に引き上げて格差をなくす道でなく)、転職をすすめる流動性の高い自由主義的な労働市場に変えることが重要だという議論が、日本の政治と学界において支配的な、通説になっています。はたして、これまでの新自由主義的な政策基調、学界主流の考え方は、日本における現代経済の問題を解決するための処方箋なのか、それとも、日本における諸問題を深刻化させている原因なのか、間違った政策だったのか、いま、人々は、改めて考え直す時期にきているといえましょう。
グローバル経済化の荒波によって、日本の経済社会が危機に直面している時、必要な改革とは何か、それは、日本の経済社会の制度的特徴のよさを活かしながら、それを基盤にした、つまり、既存の歴史的に形成されてきた制度構造と整合的な新しい制度設計を考案し接合することにより、現実の課題に対応することではないでしょうか。歴史的にアメリカとは異なる制度を育んできた国に、アメリカの制度を直輸入する構造改革では、うまく行かない、かえって人々の暮らしを困難にし、日本経済の将来を不安定なものにすることになりましょう。いったい、グローバル経済の時代に、日本の経済社会はどのような改革を進めるべきなのか、比較制度的な視点に立って考えることが重要になっているといえましょう。
こういうことを考えさせてくれる本として、次の本をおすすめします。著者はフランスのレギュラシオン学派の人ですが、訳者は日本の政治学者です。
セバスチャン・ルスヴァリエ『日本資本主義の大転換』岩波書店、2015

(3) ところで、経済は、お金の話に尽きるものではありません。お金儲けと異なる経済活動が存在します。実は、人類は長い間あるいは資本主義社会以前には、お金を媒介にして市場で交換する経済活動は、小さく例外的で、人々の暮らしを成り立たせる経済のほとんどは、自給自足や互酬(贈与したり返礼されたり)や再分配(公権力が集めたものを再配分する)といった非市場的な経済活動であったわけです。資本主義社会とは、市場における交換の機能が社会から抜け出て支配的な経済制度となり、この世のあらゆるものを儲けの対象として商品化し、貨幣を媒介とする市場で交換する経済で暮らしを成り立たせるようになった、長い人類史の中の、比較的最近の、短い、ある段階の社会のことです。
 貨幣経済は、人々をお金で振り回す悪い面ばかりでなく良い面もあります。身分制社会に縛られていた人々を自由にしました。お金さえあれば、身分に関わらず、いろいろな物やサービスを手に入れることができるのが近代社会だからです。経済は金融機能に媒介されて円滑化する面があります。そして、グローバル経済になる前までは、一国主義的な福祉国家の成功によって、先進国では、多くの人々が中間層になって、所得を増やし、物質的な豊かさを享受してきました。ところが、グローバル経済の時代になると、グローバル競争が激化して、一国的な福祉国家がうまく機能しなくなりました。新興国が低コスト生産の世界的拠点となり、先進国でも徹底してコストダウンを図る効率化競争が激化しています。
生産性の上昇こそが企業の利益を増やし、所得増につながる道であるとされ、コンピュータ化、インターネット化、ロボット化、AI(人工知能)など、第3次産業革命と位置付けられる情報通信技術革命の成果が経済のあらゆる領域に導入されています。現代はイノベーション競争が牽引する知識経済の時代といわれ、情報通信技術革命あるいは現代のイノベーション競争こそは、先進国資本主義に成長の時代を復活させる切り札であり、源泉と位置付けられています。
 情報通信技術革命は、新しい仕事を増やしていますが、それ以上に、人々の仕事を機械で置き換えつつあります。機械が、肉体労働を置き換える段階から、銀行員の融資審査機能や納税のための税理士の仕事ほか、いろいろな知識労働を置き換える時代に入っています。人々は、仕事能力の向上を機械と競争する、ロボットや人工知能ではできない人間的な仕事とは何か、そのための能力形成に努力する時代に入っています。しかし、そんなことは、すべての人々にとって可能なことだろうか、仕事を奪われる人が増えていくのではないか、という心配が生まれています。
情報通信機器がインターネットに接続する時代から、あらゆるモノがインターネットで結ばれるIoTの時代に入り、第4次産業革命に入ったと言われる場合もあります。3Dプリンターを使って、企業だけでなく、消費者が、世界の仲間の協力をネットで得ながら、創造的な、独自の製品を自由に開発・製造できる時代が来ようとしています。インターネットで飛び交う情報がビッグデータとして集められ分析され、販売促進の提案やフィンテック(情報通信技術を駆使した新しい安価な金融サービス)などに活用されつつあります。クルマの使い方も、従来のようにマイカーという形で個人が購入し所有するよりも、いつでもどこでも好きなクルマを効率的に自由に乗り捨てできるカーシェアリングの時代が到来しつつあります。
企業が利益拡大を求めて、競争しながら、効率化を徹底し、生産性を上昇させる道は、究極的には、人手を削減し、追加的な原材料の費用を必要としない、限界費用(モノやサービスを1単位追加することにかかる費用)ゼロの社会に近づける道になります。そうなると、無人自動化工場が生まれるなど、機械が仕事を奪って失業者を増やし、有効需要を減らし、経済不況が生じる。利益の追求、利益の実現を推進力とする資本主義経済の発展が、自らの限界を作り出してゆく矛盾に直面することになるわけです。
この現代資本主義の矛盾を解決する道は何か。そこから、人々は、利益追求の経済システムよりも、限界費用ゼロという第3次産業革命の成果を享受して、相互の信頼関係、社会的な協力関係を基礎とするシェアリング経済(共有型経済)への移行を求めていくことになるという議論が生まれています。
経済に関心がない、経済よりも社会的貢献に関心があるという態度よりも、技術進歩と経済発展が、社会貢献を大事にする人々のネットワークを基盤とする新しい経済、しだいにポスト資本主義の傾向を強めて行くシェアリング経済へと移行しつつあるという現代経済の矛盾とその打開の道、その動きを視野に入れて、社会貢献への関心を位置付ける方が、ずっと鋭いし、現実的になると思うのですが、いかがでしょうか。
次の本がそのような問題提起をしています。著者は、文明評論家として有名です。
ジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭』NHK出版、2015

2016年2月9日火曜日

児童自立支援施設を訪問して




奥野恒久(政策学部)

201625日、本学の矯正・保護課程の教育活動の一環として、大阪府柏原市にある児童自立支援施設「大阪府立修徳学院」を訪問した。児童自立支援施設とは、非行や家庭環境、その他の理由により、生活指導を要する子どもたちに対して、心身の健全な育成を図り、自立のための支援をする施設で、全国に58施設ある。「修徳学院」には、現在、小学校3年生から中学校3年生まで、男子55名・女子27名の計82名が、10ケ(男子7寮・女子3寮)ある寮にて教育を受けている。1寮の定員は10名で、それぞれの寮で寮長・教母と呼ばれる専門性を持った夫婦職員が児童と共に暮らすことで、人間関係・信頼関係・共感関係の形成を目指している。児童たちは、7時の起床、清掃、朝食、朝礼に始まり、授業、作業、クラブ、就寝と共同生活を送っている。
大塚院長によると、児童たちの抱えている問題の第一に家庭環境がある、という。「母さんなんて嫌い 私が家に帰ったら酒を飲んで 酔って 切れて んで また優しくなって…」というのは、学院を卒業する前の一人の児童の作文だそうだが、家庭が落ち着ける場でなく、ときに「虐待」を受け、親が人生のモデルにならず、愛され方を知らない児童たちが入ってくるという。これまで誕生会をしてもらったことのない児童にとって、寮のなかで開かれた誕生会で、教母さんに手作りのケーキを出してもらったりすると、それはもう大いなる感激だそうだ。
家庭でも学校でも職場でも、一人の人間として他者と接することの大切さを改めて思う。同時にそれが困難な現在の日本社会をどう変革するか、政策学の一つの課題ととらえたい。また「世間は他人の批評をするときにはすべて道徳家になる」としばしば言われるが、犯罪や非行に接したとき、すぐにその当人を「悪人」にして叩くその拙速さも戒めたい。
「寮長」「教母」夫婦職員の大変さは想像に難くない。人間不信に陥っている児童たちと正面から向き合わなければならないのである。それだけに、重要な「仕事」である。「修徳学院」は、「責任の取り方を考えさせる」父性の役割と、「辛さや悲しみを共に理解し、受け入れる」母性の役割を強調されていた。性差を強調する教育が今日において必要か、私には疑問もあるが、夫婦制により児童と一人の人間として接する自立支援がなされていることは間違いない。
たとえば「虐待」をめぐっては、行政はもちろんのこと、保健師や保育士、教員、医師といった様々な役割の連携が必要であるが(参照、「虐待予防 温かな輪」毎日新聞201627日)、児童の自立支援も不可欠である。社会には実に多様で多くの問題が存在していることの一端を知り、その解決に向けて真剣な取り組みがなされていることも理解した。このことを学生たちと共有していきたい。