2011年3月27日日曜日

東日本大震災と災害復興の政策学-Cash for Workという考え方

石田 徹

1千年に1度ともいわれる日本観測史上最大の大地震とチェルノブイリを思い起こさせるほどの最悪の原発事故が同時に起こるという未曾有の大惨事に日本は見舞われました。後者の原発事故ついては、なお予断を許さない深刻な状況にあり、いずれは原子力依存の日本のエネルギー政策を厳しく問い直すべき時が来るでしょうが、今は原子力燃料を「冷やし」、放射線物質を「閉じこめる」ことに全力を注いでもらうしかありません。
 前者の震災についても、長期的には今回想定外の高さにまで達したとされる津波のみならず震度も含めてどういうレベルを想定して防災、減災対策を講じるか、という難問を解いていかねばなりませんが、当面はボランティア活動を含めて被災者救援に向けて最大限の努力を払う必要があるでしょう。と同時に、被災者およびその地域の生活を再建していくための復旧・復興の政策を早急に打ち立てることが重要です。今回のブログでは、災害復旧・復興にかかわる政策として注目されているCash for Work(CFW) プログラムを紹介します。私も最近知ったばかりで生かじりの知識であることを前もってお断りしておきます。
CFWとは、貧困問題に取り組むNGOであるオックスファム・ジャパンによれば、「現地の人々に地域復興へ向けた事業を提供し、現金報酬というカタチでサポートする支援」のことをいうとされています。発展途上国で起きた津波等の災害後において、男性が従事する復興事業の建築作業や漁業などのみならず、女性が携わる裁縫、工芸品製作などの産業も復興させることにより、それらの仕事から現金収入を得た人々が、政府機関や支援機関から独立し、自らの生活を立て直すことが出来ると同時に、自らの尊厳を回復することも可能となった、とされています。従来であれば復興支援において食糧などの現物を給付するのが一般的であったのに対して、仕事を創ってその労働の対価として現金を給付するCFWの方がプログラム実施において容易であるのみならず、被災者の自立や被災地域の経済再建にとっても有効であると考えられているわけです。この仕組みは、1998年のバングラディシュの大洪水、2004年インド洋の津波、あるいは2008年ミャンマーのサイクロン、2010年ハイチの地震などにおいて実施され、今日では大規模災害の被災者支援の方法として国際的に定着してきているといわれています。
 つい最近、CFWを今回の東日本大震災に対して適用すべきであるとの呼びかけが減災政策を研究されておられる永松伸吾氏(関西大学社会安全学部准教授)によって行われ、それに賛同する声が広がっているようです(http://disasterpolicy.com/shingoblg/)。具体的な提案も出されいて、例えば対象地域:岩手、宮城、福島の被災市町村、対象事業:災害復旧公共事業、清掃作業、被災者支援業務、実施期間:6ヶ月程度、実施主体:政府・自治体・民間企業・NGOによる共同プロジェクトチーム、財源:災害救助法などの災害復旧財源、といった内容が暫定的に示されています。
 CFWを実際に実施していく上ではいろんなハードルがあると思われますが、その一つはやはり財源の問題でしょう。ご存知のように日本の国家財政は火の車で、政府も復興財源としては子ども手当や高速道路の予算を振り向けるとしていますが、実際にはそれでは到底賄えず国債の発行やさらに復興税の創設といった案も出されてきています。これに対して今回のCFWの提案は、基本的には国債の発行は控えるとともに増税もしないという考え方を取った上で、限られた資源で有効な効果を生みだすというようにコストも考慮に入れたものになっています。
 ただCFWプログラムにおいて、コストを考慮しすぎれば、本来の主旨である被災者による自律的な生活再建、地域再生という目標が達し得なくなるという問題が起こります。また、CFWプログラムでは、就労できない人たちは対象となりません。そうした人たちは、当然のこと就労を強いられることなく生存、生活が保障されるべきであり、それゆえCFWとは別途の手立てを打たれる必要があります。ただ、生活再建、地域再生において必要とする労働は肉体労働ばかりではなく多様な被災者支援のサービス労働もあることを考えると、例えば一般的に就労が困難とされる高齢者や障がい者の方々が直ちにCFWの対象から外れるというわけではないことにも留意する必要があります。
その他にもCFWの実施においては様々な課題があるでしょうが、今回の大災害の復興において有力な手法であることは確かだと思います。今回提起されているCFWのより詳しい内容については、先に挙げた永松伸吾氏のHP「減災雑感」をご覧下さい。
今回のブログでは、災害復興に関わってCFWという政策手法を紹介しましたが、まさに現実に起こっている重要な問題の解決策を探る学問が政策学であることを分かっていただきたいと思います。

2011年3月22日火曜日

対談

村田 和代

チーム政策広報委員の村田和代です。先日、龍谷大学案内に政策学部の企画として掲載する対談のために、乙武 洋匡さんをお招きしました。白石学部長(就任予定)や、来年度政策学部クラスサポーター(法学部政治学科2回生3名)と対談いただきました。


乙武さんは、大学在学中に『五体不満足』を出版され、卒業後は、7年間スポーツライターとして活躍されました。その後、これまで育ててもらった恩を次世代に返したいという思いから、29歳で大学に戻って教員免許を取得され、3年間小学校で教鞭をとられました。現在は、メディアを通して社会に向けてさまざまなメッセージを発信されています。さらに4月からは、「まちの保育園」の経営に携わられます。地域との交流を通して子育てができるようにと仲間とともに開設される保育園です。

白石先生との対談では、乙武さんが大学時代に関わったまちづくりの活動や、これまでの多方面多分野にわたる活躍をめぐって話が進められました。クラスサポーターのみなさんとの対談では、乙武さんに聞いてみたいことというテーマで話が進められ、たとえば「学ぶ意味は?」「取材したり、人前で話すコツは?」といった質問が出ました。

広報委員の役得?!で、2つの対談を見学させていただくことができました。実は、『五体不満足』を出版されて以来ずっと乙武さんのファンで、この企画について広報委員会で話し合っているときからずっとはしゃいでいた私です。いつもポジティブに生きていらっしゃる姿や、よりよい社会に向けて貢献したいという姿勢に感銘を受け、ずっと応援してきました。かっこよくておしゃれだから・・というのがファンになった理由というのもあるのですが。。。 本物の乙武さんにおめにかかれて、大感激でした!!

対談の内容の詳細は来年度の大学案内の冊子で紹介されますので、ここでは、私の心に残った乙武さんのことばを3つ(私のメモに基づく要約で)ご紹介することとします。

まずひとつ目は大学生活について。「大学にはやりたいことを見つけるために行くのでもよい。そこでは、多くの出会いと経験を重ね、多様な価値観にふれ、自分の引き出しを増やすことが大切である。」大学はこれまでの高校生活以上に、さまざまな活動や学びの機会があります。でも「受け身」のままでは何も生み出すことなく4年間はあっという間に終わってしまいます。とは言っても何から始めたらいいのだろうという人に。「普段接している友達ばかりでなく、ちょっと苦手だなと思っている人に勇気を持って話しかけたり、ボランティアなどの活動に参加してみるといったことから始めてみよう。」乙武さんからのアドバイスです。

二つ目は、教師の役割について。「勉強を教え○○まで到達させるといった目標は必要だけれども、一番大切なのは、子供たちの心を育てることだと思う。それは、すぐに花が咲く場合もあれば、1年後、5年後、あるいは大人になってからかもしれない。でも、心のふれあいが教育の中でもっとも大切なのではないだろうか。」これは、学生との対談の中でおっしゃっていたことにも共通しています。「スポーツライターとしてインタビューする場合でも、人前で話すときでも、うまく聞こうとかうまく話そうとうわべだけがんばってもだめで、あなたの話を聞きたいという思い、これを多くの人に伝えたいという思いがあって初めて聞き手に伝わるものだと思う。」心のふれあいや話し相手とのラポール構築の重要性については、私自身もコミュニケーションの研究を通して主張してきました。今後は、教員としても、これをもっと大切にしていきたいと思いました。

最後に、大学の役割について。これについては、乙武さんと白石先生の意見が見事に一致し、以下はお二人のことばをまとめたものです。「大学は知恵と人材の宝庫である。大学の豊富な資源を使いながら、さまざまな社会実践を通して、地域の多くのひとびとが関わることで、社会(地域)が持つプラスのエネルギーを引き出していくことが大学の役割である。」 これこそまさにチーム政策が目指す大学の役割で、乙武さんと白石先生の間でどんどん話が盛り上がっていき、聞いている私も、「私もそう思います!」と何度も声が出そうになりました。

対談当日は、震災の影響で交通機関のダイヤも不安定な中、東京から来ていていただきました。乙武さんには、心より感謝いたします。余震の心配もあり、ご家族を東京に残して出てきていただくのは、ご心配だったことと思います。 対談が終わって、乙武さんのHPを拝見したところ、嬉しい”tweet”を見つけました。“今日は、関西で一日を過ごしました。家族と離れてしまった不安はあるものの、緊迫した空気から解放され、心がひと息つくのを感じた自分もいました。西日本のみなさんには、罪悪感や無力感を感じることなく、笑顔で日々を送ってほしい。西日本から、元気を送ってほしい。みなさんの笑顔に救われたから。” 乙武さんから、チーム政策にむけて、たくさんの元気とエールをいただきました。東京―京都と離れていますが、社会実践を通して、また乙武さんとご一緒できればと思います。ますますのご活躍をお祈りいたします。

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この度の、東北地方太平洋沖地震により被害に遭われた多くのかたがたに、心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。ニュース映像を見るたびに、ただただもどかしく胸が痛みます。何かできないだろうか、と考えてらっしゃる方も多いかと思います。京都災害ボランティア支援センターやきょうとNPOセンターでも活躍中の、チーム政策メンバー 深尾昌峰先生に話をうかがいました。以下にポイントをまとめます。『被災地で求められること』を優先順に考えると、1.プロによる救助救出、2.電気、ガス、水道などのライフラインの確保、3.ボランティアの活動です。被災地で受け入れ体制ができてはじめてボランティアの活動が有効に働きます。震災から10日以上たって、ボランティアの受け入れや、支援物資の受け入れも少しずつ始まってきているようです。 まずは、各自治体や、ボランティア団体から発信されている情報を確認してから行動しましょう。被災地から離れた地域で暮らす私たちがすぐにできることは、義援金の協力です。思いが届いて、そしてその思いをうまく使ってもらえるよう、募金先の各団体の活動をHPなどで確認することも大切です。龍谷大学では、学生さん向けに「龍谷大学ボランティア・NPO活動センター」が募金の窓口になっています。

直面している現実を受け止め、この困難を乗り越えるために、わかちあう心を、思いを届けませんか。

2011年3月16日水曜日

東日本巨大地震に思う

北川 秀樹

先週11日(金)午後に、東北地方三陸沖でおこった地
震はマグニチュード9.0という世界最大級のもので、直
後の津波被害などにより、多くの方が死亡、行方不明と
なられ、被害が広範囲に及ぶなど、きわめて激甚なもの
でした。
 被災者の皆様方に心からお見舞い申し上げます。一日
も早い被災者の救出と被災地区の復興活動が早急に進む
ことを切に願う一方で、環境政策を専門とする立場から
次のようなことを感じました。

 一つは、自然、生態系と人間の活動です。自然災害の
メカニズムに人為活動がどの程度影響しているのか、特
に地震についての判断は不可能に近いでしょうが、二酸
化炭素などの温室効果ガスの増加により、気温・海水温
が上昇し台風の強大化や、局地的豪雨による洪水の増加
などが指摘されています。
 地球温暖化防止のため、世界が協調して化石燃料の抑
制をはかろうとしていますが、経済活動に直接関係して
いるため困難な国際交渉が続いています。エネルギー消
費や経済活動を考えたとき、自然エネルギーや生態系の
循環をうまく利用していくことが必要だと思います。私
たちは、快適で便利な生活を送れるようになりましたが、
地球に必要以上に負荷をかけることは自然からの報復を
受けるような気がしてなりません。

 もう一つは、これとも関係しますが、福島原子力発電
所の事故による放射能漏れと炉心溶融の懸念です。日本
は地震が多く、原子力発電は向いていないといわれてい
ましたが、今回の地震により深刻な事態を招いています。
日本では54基の原子力発電が稼働していますが、このよ
うな運転中の事故はもちろん、運転終了後の放射性廃棄
物の処理についても大きな懸念があります。放射能が漏れ
出さないようガラス固化の上、地下数百メートルに何万年
にもわたって管理しなければならないのです。未だ最終処
分場の場所も決まっていません。将来世代に大きな負の遺
産を残すこととなります。国、電力業界は、稼働中に二酸
化炭素を排出しないため温暖化対策の切り札として推進
していますが、ウラン燃料は化石燃料と同様、枯渇する
資源でもあります。一方で、莫大な電気を安定的に供給
する原子力発電は、日本の産業活動や生活に大きな貢献
をしていることは疑いありません。ただちに全廃するこ
とは現実的ではないでしょう。このようなことを考えた
とき、原子力発電は必要最小限にとどめるため、新規の
ものは作らず、可能な限り自然起源の再生可能エネルギ
ーの開発に精力を注ぐべきではないでしょうか。
 ドイツはすでに2050年に80%の電力を再生可能エネル
ギーで賄うとして、技術や政策を総動員して取り組んで
います。幸い、日本は地熱、太陽光・熱、風力、森林バ
イオマスなどの自然エネルギーに恵まれています。初期
コストはかかりますが、この際大きく政策を転換し、再
生可能エネルギーの開発に取り組むべきであると思いま
す。
 われわれ住民も、当然のこととして電気を使うのでな
く、自分が使っている電気がどこから供給されているの
かを改めて認識し、再生可能エネルギーを選択したいと
のメッセージを国、電力会社に伝える必要があります。
エネルギー政策について、情報開示のもと国をあげて議
論すべき時期に来ているのではないでしょうか。

2011年3月11日金曜日

カンニング事件で考えさせられたこと

的場 信敬

各種メディアでの報道もだいぶ落ち着いてきましたが、つい先日まで大問題になっていたカンニング事件について、少し考えさせられることがあったので、今日はそれについて、思うままに書いてみたいと思います。

カンニングはダメ、人に迷惑をかけるのもダメ、というのは当然のこととして、また、今回のことが刑事事件となったことの是非なども置いといて、まず気になったことのひとつ目は、メディアの反応です。特にテレビでの報道は、あまりにもひどかった。どのテレビ局も、今回「容疑者」となった予備校生が拘束される前から、人物を特定できるような細かいリサーチと報道を繰り返し、まだ19歳の少年を社会をあげて批判するような雰囲気を作り上げました。私は、彼がショックを受けて自殺でもしてしまうのではないかと本気で心配しました。さすがに、番組の外部コメンテーターなどの中には、報道のやり方について苦言を呈する人たちもいましたが、それでもテレビ報道全体のスタンスはなにも変わらずじまいでしたね。

少し前になりますが、昨年の冬季オリンピックでの国母選手(スノーボード)も、ファッションと言動について、それこそ「国賊」とでも言わんばかりの勢いでテレビで批判されていたことがありましたが、それを少し思い出しました。最近の日本社会は、人の「失敗」に対して、あまりにも厳しい。失敗したら徹底的に叩かれたり、ちょっと前にはやった言葉でいえば「再チャレンジ」が難しかったりします。受験の失敗も然り、新卒者の就職も然り(既卒者は就職環境が厳しくなります)、政治家の失態も然り・・・。まあ、最後の政治家については、そもそもの政治家の質の低さに問題があったりもしますが。

このところのテレビ報道や番組は、それこそ視聴率さえ取れれば何でも良い、みたいなスタンスが露骨に見えて、気分が悪くなります。バラエティ番組ならそれも良いですが、せめてニュースや報道番組は、さまざまな情報や見解を視聴者に提供し、視聴者自身がそこから自分の意見や考え方を形成できるようなものであって欲しい。政治の報道などもそうですが、最近は、世論をメディアが報道するのではなく、メディアが世論を一方的に形成しているように感じることがあります。もちろんこれは、情報を鵜呑みにしてしまう受け手(=私たち)の側にも問題はあるのですが。

今回の事件でもうひとつ感じたのは、そうまでして一流大学に合格したい、と思わせた、日本社会の価値観や構造の問題です。今回は、「母親に負担をかけたくないので国立に」というのが動機であったというようなことも言われていますが、それにしても、「出身大学によって人間としての価値まで測られてしまう」、あるいは、「一流大学を出ないと(良い)企業に就職できない」、というような、日本社会でいまだ支配的な価値観や構造が、今回の彼の行動に影響を与えた可能性は高いように思います。もちろん最近では、経済状況の悪化によって一流大学卒というステータスが即就職につながるということもありませんし、逆に企業の側も大学や年齢にとらわれない多様な人材を求めはじめているということも事実です。ただ、上記のような価値観を基にした偏差値教育にどっぷりと浸かってきた10代の若者が、このような新しい動きを敏感に察知するのは大変難しいことでしょう。

ひとりの研究者・教育者としては、現状の社会のあり方に矛盾を感じその変革を考えつつも、当面の課題として、そのような社会でもたくましくやっていける学生を育てければならない、というある種のジレンマに苛まれます。

いずれにしても、政策学という学問は、自治体の公共政策という狭義の「政策」だけでなく、このようなメディアのあり方や、雇用問題、さらに大きく社会を形作る価値観や構造まで幅広く検討するべき学問だと考えています。個別の政策によって社会を変えていくのはもちろん、これからの日本をどのような社会にしたいのか、ということを考え、その実践を志向することも、私たち(政策学部・研究科生になる皆さんも含めて)の使命だと思います。今回の出来事では、教育者としても、政策学を志す研究者としても、色々と考えさせられました。皆さん、一緒にがんばりましょう!(最後、強引なまとめ方でごめんなさい)

2011年3月9日水曜日

インド国旗のおはなし

岡本 健資

インドの国旗がどんな模様かご存じでしょうか。


これがインド国旗です。インド料理屋さんでよく見ますね。

National Flag

この国旗の内、

トリコロール上段のサフラン色は

「強さ」と「勇気」を示し、

中段の白色は

「平安」と「真実」を、

下段の緑色は「豊饒」と「成長」、

それに「吉祥」を意味するのだそうです。

では、真ん中の「輪」のようなものは何なのでしょうか。

これはダルマ・チャクラと呼ばれるもので、漢訳語では「法輪」にあたります。

日本でもよく仏教寺院で見かけますね。

それでは、インドは仏教国なのかといえば、そうではなく、

ヒンドゥー教徒が多数(10年位前のデータでは総人口の80%)を占め、

仏教徒は僅か(同じデータでは0.7%)です。

それでは、この「輪」は何を指しているのでしょうか。

この「輪」の由来はとても古く、紀元前3世紀まで時を遡る必要があります。

当時、インドでは空前の大帝国が生まれます。

西はアフガニスタン、東はバングラデシュ、北はネパールに至るまでの地域、

南は南端部を除くインド半島の殆どを支配しました。

この帝国の名前をマウリヤ朝と言い、

第3代の王アショーカの時に、その広大な領域が支配されたと言われます。

しかし、彼がそのような広大な地域を支配していた、とされる根拠は何なのでしょうか。

それは、アショーカが発した命令が、

摩崖法勅(自然石の表面を削って平らにし刻んだ勅文)や

石柱法勅(石柱に刻んだ勅文)として、彼の影響が及んだ地域に残されているからです。

なかでも有名なのはこの石柱でしょう。

(『詳説世界史 改訂版』東京: 山川出版社, 2008年より)
Sarnath Lion Capital of Asoka

サールナートにあるこの石柱はとても有名で、

インドの国章にも採用されています。

national_emblem

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、(多分)これもそうです。

Bihar_Lion

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、インドのとある州境の看板に描かれた国章(らしきもの)です。

さて、私たちの視線は柱頭の勇ましいライオンに注がれますが、

実は、その足下にこの「輪」があります。

これが、アショーカがシンボルとして用いた模様であり、

インド国旗の中央に位置する「輪」に他なりません。

では、アショーカとはどんな人物であったのでしょうか。

何より「ダルマ(法)による統治」を行ったことで有名ですが、

それは、彼の命令自体が「法勅」(dhamma-lipi:ダルマの文)であると記されるうえ、

命令の中に「ダルマ(法)」(dhamma)の語が頻出するためです。

一体、法勅(ダルマの文)には何が記されているのでしょう。

たとえば、このような内容が記されています。

「人は、自分の行う善行のみを見て、自分の悪行を見ることがない。

自省は難しいが、人は狂暴、残忍、憤怒、高慢、嫉妬などが

罪業に導くものであることを念頭におき、

罪業に陥ることのないよう努めるべきである。」[石柱法勅、第三章の部分要約]

「すべての宗派に属する者たちが、すべての場所に安住することが理想であるが、

そのためには、各宗派に属する者たちにとって、言葉を慎み、我執を離れ、

他派の立場を尊重し、互いに和合することが必要である。

こうした行為によって、自己の宗派を増進させ、他派をも助長することになる。

一方的な自派の賞揚、他派に対する攻撃は、自派を損ない、

他派を害することになる。」[摩崖法勅、第七章、十二章の部分要約]

上記を見れば判るとおり、大抵の人が納得できることが書いてあります。

実は、そのことこそが、アショーカの法勅の特徴だと言われます。

すなわち、アショーカのダルマは、普遍的社会倫理について語っているというのです。

今から時を遡ること二千数百年前に、

特定の宗教や主義・主張に偏らぬ政治を目指した人物が

インドを支配する地位に就きました。

多様な民族・言語、多彩な宗教を包み込むインド亜大陸が

このような統治者を育てたといえるのかもしれません。

インド国旗にはこのような物語がかくされているのです。

2011年3月2日水曜日

生物多様性と人の暮らしと原発

谷垣 岳人

週末の2/26-27は、原子力発電所が建設中の山口県熊毛郡上関町長島と対岸にある祝島に行ってきました。長島の自然を守る会の高島美登里さんや滋賀県立大学の野間直彦さんに現地を案内していただきました。

長島田ノ浦


上関のあたりの海は、透明度が15mにもおよび、ため息の出るような美しい海でした。瀬戸内海では珍しく自然海岸が続き、陸に降った雨は湧水として海底からわき出しています。都市部を通ってくる大きな河川もないためか、海底の砂地には多くの生き物が暮らしています。スナメリという背びれのないイルカの仲間や、カンムリウミスズメという海鳥がいます。なんとか見つけようと波間に目をこらしましたが見つかりませんでした。海岸には、瀬戸内海では幻の生物とされる生きた化石カサシャミセン(貝のようで貝の仲間でない)や、ヤシマイシンという巻き貝の祖先など珍しい貝類の宝庫だそうです。今回は時間がなかったので、またゆっくりと潮だまりの生き物観察をしたいと思いました。

長島の海岸沿いの陸には、カクレミノ・タブノキ・幹がまだら模様のカゴノキなどの常緑樹がありました。カクレミノには成虫で越冬するタテジマカミキリがいるので、思わず歩みが遅くなります。タブノキの巨木も多く、夏になれば紅色に黒点模様のホシベニカミキリもいそうです。ふだん関西の里山を歩いているので、見慣れない常緑の木々から、違う土地に来ていること実感します。

カゴノキ


この心打つ景観ですが、山を削り海を埋め立てる原子力発電所の建設が進んでいます。原発が建設されると、海の生き物は大きな打撃を受けます。埋め立てという物理的な影響だけでなく、取水時に比べて約7度も高い温排水による影響です。排出量が多いので周辺海域の温度が上昇します。わずかな温度上昇でも海の生き物、とくに卵や幼生に大きな影響を与えます。そのため今までとれていた魚や海草が採れなくなり、島民の暮らしが脅かされる可能性があります。

そもそも、こんな生物多様性が豊かな海に、なぜ原発を建てる許可が下りたのでしょうか。どうやら、開発ありきのずさんな環境アセスメントだったことを知りました。

原発建設現場


原発建設地の対岸にある祝島では、反対運動がなんと30年も続いています。島の人々は、原発建設による漁業補償金の受け取りを拒否し、美しい海を守り、そこの海の幸を受けながら暮らすことを決断しました。さらに自然エネルギーによるエネルギー自給率100%を目指す取り組みも始まっています。1% for 祝島<http://www.iwai100.jp/supporter.html>。同年代の地元の方の話も聞き、この海を守り、ここで子供を育て暮らしていくという決意にたいし、胸が熱くなりました。

気になったのは、この地域の電力は足りているため、この原発で作った電気が、関西で使われる可能性があるということです。関西に住む我々は、日々使う電気がどこでどうやって作られているかなど、ほとんど気にすることがありません。しかし、原発建設により失われる豊かな生物多様性があり、それを守ろうとする地元住民の保護活動が、今この瞬間も続けられていることを知りました。

この事実を広く伝え、せめて、身近なところから自然エネルギーを使う生活を始めなければと意を新たにしました。