2010年12月21日火曜日

今はどのような冒険の時代か?

堀尾 正靱

19歳のころの私にとって、「虚無」は親しいものでした。私たちの青春時代には、まだ、たくさんの壮年の人々や若者たちが亡くなった「大きな戦争」の残響が耳の中に強く残っていましたし。それだけでなく、その戦争よりも前の20世紀初頭、芸術家たちが、「リアリティ」を探求してまっしぐらに進み、既成の権威を打ち破りつづけていた時代のことが、思想の統制から自由になった戦後の日本に、怒涛のように流れ込んでいたのです。それがかえって問題を難しくしていました。実際、芸術家たちは飽くことなくすごいことをやりつづけてきました。よく知られている印象派(モネなど)もそのはしりで、それまでの宗教画や室内画の絵画空間を否定し、光と自然と日常の中に私たちを解放したのですが、そこに留まっていれるものではありませんでした。その後、冒険は、後期印象派(セザンヌ、ゴッホほか)、立体派(ピカソほか)、野獣派(マティスほか)、ダダ(ツァラほか)、シュールレアリスム(ブルトン、ダリ、エルンストほか)と続きました。もちろん今も続いてはいますが(ただし、最近の現代芸術には、あのころのような過激さはもう見られないように思います)。

芸術の世界だけでなく、すでにこの300年以上にわたって、近代を構築してきた強い否定的精神。宗教裁判の後、ガリレオは、なお「それでも地球は回っている」と言いました。以来、過去の権威への系統的な否定が続きます。「真理とは何か」の問題を「真理探究の方法」の問題に置き換えて、人間が、神だのみでなく、自分の力を信じて、一歩一歩進めるようにしてしまった「方法叙説」のデカルト。自由で対等な交換の中に搾取の仕組みがありうることを暴いたマルクス。人間の意識や行動の心理的な背景を白日の下にさらしたフロイドなどなど。あのころの私は、もう、すべての知性の展開の試みがおこなわれ、その果てに来ていたような気分のなかにいました。そんな精力的な西欧文明の展開のあげくに、なぜ、「夜と霧」のような人間性の否定と希望のない殺し合いを避けることができなかったのか。それが私にとっての、問題の始まりでした。

そしてさらに、家父長制的な封建的関係の残った中での日本の軍国的な近代化の中にも開花した、大正デモクラシーや、白樺派や、童謡・童話雑誌「赤い鳥」。そして、そういった都会での西欧かぶれと区別できないようなものではない土着的かつ近代的な精神を目指した宮澤賢治。その彼の眼の前に展開していた、地租改正以来の、農民のすさまじい困窮化。私は芸術的な感性をも動員して「農」をつくりかえる宮澤賢治の道に憧れました。しかし、そのころ、時代は変わり、わが国は高度成長に突入、過去の思索者たちが直面していたものとは全く異なる新しい時代状況が展開していました。そんな中で、地味な大衆の中に身を置く技術者になるべく、私は工学部へと進学したのです。それが1961年です。恥ずかしながらもうすぐ50年です。

自己紹介が長くなってしまいましたが、いま、全く新たな様相のなかに、時代の徹底的な閉塞感と合わせて、新しい時代の息吹が聞こえています。閉塞感だけしか見えない人々の一部は、一層の効率化や、極度の過疎化や財政破綻の中にある地方の切り捨て(撤退)を論じたり、生活の破綻や犯罪への加担したり、憂うべき暴走に走っています。しかし、近代のあらゆる知の冒険の延長線上に、この50年、拡大に次ぐ拡大を遂げてきた工業化社会とその技術的システムは、公害、廃棄物問題、生物多様性の破壊、など、環境に関連する数多くの本質的問題に直面してきました。そしてこの40年ほどの間に、専門家任せではない市民参加型の技術社会を作らなければならないという市民的な取り組みが多様に展開してきました。

しかも、先進国の工業化社会の問題はそのレベルにとどまらなかったのです。快適な技術をまとった社会が、あと50年もすれば石油という有限の、そして地球温暖化・気候変動現象の制約のため、二酸化炭素を80%削減しなければならないという、未曽有の壁にぶつかっています。途上国の中に入れられている中国も、すでに、現在のCO2発生量を2050年にむけて30%以上削減しなくてはならない、というところにまで来ているのです。これらは、いまの時代が、単なる閉塞の時代ではなく、旧来のシステムの崩壊と新しいシステムの到来という怒涛の時代なのだということを示していると私は思います。

私の言葉でいえば、「石油漬け近代の作り直し」の時代が来ようとしています。それは、市民生活から、企業活動、行政、国政のすべての段階で全く新しい課題を私たちに突きつけています。ヨーロッパ諸国は、西欧近代の伝統であった否定的かつ自己改革の精神で、いろいろな先進的取り組みをしています。しかし、わが国にはわが国の気候風土と歴史とわが国なりの変革の精神があります。龍馬以来の170年近い日本の近代化の歩みを振り返り、わが国の課題を総点検しつつ、新たな政策体系を構築し、実践していく、私の青春時代以上に、困難かつ素晴らしい時代が皆さんを待っていると思います。