2012年1月23日月曜日

見えないところへのこだわり

中森 孝文

とうとう我が家に薄型テレビがやってきた。2011年7月のアナログ放送停止後も、ケーブルテレビによるデジアナ変換によってブラウン管テレビを見続けていたのだが、家族からの度重なる懇願とクレームをうけ、しぶしぶ同意した。次男坊が生まれたと同時にやってきたSANYOのTVは、我が家の子供たちの成長を十数年も見守ってきた。薄っぺらでデカい顔つきの新人と選手交代を告げられ、家電店の元気な配達のお兄さんに軽々と持ち上げられて去っていく丸みを帯びた愛着のある風貌は、どことなく寂しそうに見えた。くしくも三洋電機の本社ビルからSANYOの文字が取り外された次の日のことであった。

世界中の企業は、情報技術のめざましい発達により、グローバルな競争に巻き込まれている。開発スピードを速めるとともにコスト競争にも打ち勝たねばならない。1インチ1万円といわれていた液晶TVもいまや1インチ1000円以下となっている。そこには徹底した合理化の努力が求められるのだ。

京都の千本通五辻を少し上がったところに「たくみ人形」という小さな人形屋さんがある。そちらでこだわりのひな人形を見せてもらったことがある。たち雛や座り雛、価格も十数万円のものから数百万円のものまで様々な人形があるが、人形師の槙野巧雲氏のこだわりが随所に見られる。例えば座り雛の足をみると襪(しとうず)という指のわかれていない足袋を履いている。座り雛であることから、人形を逆さにしてみないと足を見ることはできない。言われない限り、大方の人は人形を逆さにして品定めすることはなく、そのような見えないところの差に気づく人は少ないだろう。なぜそこまでこだわるのか槙野氏に聞いてみたところ、ひな人形は女の子の健やかな成長を祈るためのお守りであり、お守りに手抜きがあってはならないという。手作り人形ならではのこだわりである。

ところが、最先端の情報機器にもこだわりを貫いた人がいる。昨年10月に亡くなったスティーブ・ジョブズだ。ウォルター・アイザックソンの著書Steve Jobsには、「見えない裏側までしっかり作る」という父親の教えに影響をうけ、美と品質を貫きとおしたことが紹介されている。シンプルさへのこだわりが単にデザインだけでなく、画期的な技術やサービスを生みだした。ボタンをなくした携帯電話やタブレット端末、指を離しても動作の余韻が残る慣性スクロールの魅力にとりつかれているユーザーも多い。また、同書によると中身を取り出すと捨ててしまうことになる箱にも相当な工夫が講じられているという。

伝統産業や芸術という手作りの分野であるがゆえに、コストを度外視したこだわりが許されると思われがちであるが、工業製品や大量生産の世界の中にあってもこだわりが評価されるのである。目の前の利益だけでなく、長期的な付加価値の創造を目指す好例といえる。

ならばそのこだわりを貫くことができる要素は何であろうか。そこには経営者の強い信念とそれに対する従業員の共感が欠かせない。そして一つの成功にとらわれることなく、時には今の成功を捨て去ってでも挑戦し続けねばならない。絶好調の携帯音楽プレーヤーが携帯電話を販売することで売上が落ちても挑戦するという経営センスも、信念を貫きとおす中から生まれてくるのだろう。創造と破壊をスパイラルに繰り返し自らを高めていっているのだ。

翻って日本の政治はどうだろう。権力闘争に伴い創造と破壊が繰り返されているようにみえるが、果たしてそれによって国民が酔いしれるような魅力ある付加価値を生んでいるだろうか。むしろ将来への「負荷価値」をどんどん積み上げているように思えてならない。表面だけを上手に見せようとするのではなく、見えていないところでの愚直なまでのこだわりを貫く努力とそれに対して理解が得られる工夫が今求められているのである。