2014年6月19日木曜日

指図堂

中森 孝文

公慶堂


 東大寺大仏殿の西側に小さなお堂がある。大仏殿や二月堂、三月堂とは異なり、普段は観光客もあまりみかけない。そういう筆者もこれまで素通りをしていたが、今回この西側エリアにある公慶堂と指図堂を拝観させていただいた。

 東大寺の大仏は752年に開眼供養が営まれた後、今日に至るまで2度の戦火に巻き込まれ消失している。1度目は源平の争いの中に起こった平重衡による南都焼討(1180年)であり、東大寺や興福寺などが大打撃をうけ、大仏殿をはじめ多くの施設が消失した。
 その復興の中心人物が醍醐寺などで修行した俊乗房重源である。実は、重源が東大寺大勧進職にという案は第二案であって、第一案は別の人物であったそうだ。重源上人は当時61歳という高齢であったが、86歳でこの世を去るまで東大寺の復興に尽力した。高齢にもかかわらず浄財寄付を募り、職人を確保し、巨木を調達するといった職務を遂行するには相当な苦労があったに違いない。

 2度目は、戦国時代の三好・松永の戦い(1567年)の兵火によって消失した。転害門や二月堂などの一部を残してほとんどが被害をうけたという。大仏も頭が落ち、木で作られた芯に銅板を貼り付けてとりつくろった状態で雨晒しになっていた。1度目と異なり幕府の援助などが期待できず、消失から100年以上が経過した。その大仏の姿を見て、「自分は雨の日に傘をさせるのに大仏様は風雨に晒されたままだ」と涙した若干13歳の公慶が、25年もの間復興にむけた想いを持ち続け、ついに幕府の勧進許可を得るのだ。ただし、江戸時代の奈良の位置づけは一地方都市にすぎず、勧進の許可は得られたものの、幕府からの援助はなかったという。そこで、公慶上人は全国勧進行脚により寄進を募り、7年間で大仏開眼にこぎつけた。続く大仏殿の造営では、さらに莫大な費用がかかるため、5代将軍綱吉の母(桂昌院)に会い、幕府の支援もとりつけた。

 ところが、大仏殿再建の経過報告のために江戸に出向いた公慶は、江戸で病にかかり帰らぬ人となってしまう。大仏殿の完成を見ることなく亡くなった公慶のために、弟子たちが御影堂(公慶堂)を建立し、そこに公慶像が安置された。生きて見ることができなかった大仏殿をいつも眺めることができるよう、公慶堂の扉は東を向いて開けられ、公慶像は大仏殿の方を向いて座っているが、その左目は真っ赤に充血しており、過労の様子が伝わってくる。

 重源上人といい公慶上人といい、勧進職に就いた年齢こそ違うものの、それぞれの時代において相当な苦難に立ち向かったことは間違いない。今ではクラウドファンディングというインターネットを使った便利な資金調達方法があるそうだ。これがあれば公慶上人は過労死をせずにすんだかもしれない。しかし、方法は違えど、寄進を募る人の理念や想い、日頃の行いが人々の心をうつということは、時代が変わっても変わらぬ構造ではないだろうか。すなわち、便利な方法を用いて労力をかけずに資金集めをするという方法(システム)だけに着目するのではなく、人々の共感を生むためには、組織やプロジェクトの目的はもちろんのこと、主宰者やその構成員全員が社会から必要とされるように努力しなければならない。スピード化や合理化が重んじられる世の中ではあるが、方法論だけでなく時には回り道をしてでも物事の道理を説くことが重要ではないかと思う。

 かくいう筆者の所属する大学も、ホームページに寄付を募るシステムを整備したようだ。そのような時に重源や公慶の話をお聞きし、公慶像を目の当たりにして、大学の構成員の一人として、物事の道理を説ける人間となるために、まだまだ精進しなければならないと痛感した。

 ちなみに、1度目の戦火の復興の際に、重源よりも先に推薦されたのは、当時48歳の法然であった。ところが浄土宗を広めるために勧進職を辞退したそうだ。しかしながら、その後も法然上人は重源上人の招きによって、再建中の東大寺にて浄土三部経を講じるなど、東大寺と浄土宗の関係強化に貢献したという。
 時は流れ、大仏殿復興のための図面「指図」が掲げられていたお堂が大風で倒壊したが、浄土宗関係者らの喜捨によって「法然上人ゆかりの霊場」として再建されたという。それが現在の指図堂である。1852年のことだそうだ。法然が東大寺で浄土三部経を講じたのが1190年だから、660年以上もの時が経っての寄進となる。なんという壮大な時間的感覚なのだろうか。

 グローバルに取引される金融商品の日々の上げ下げで、一喜一憂する世界を理解することももちろん大切だ。けれども、何世紀にもわたって想いが受け継がれるという、人間の時空を超えたダイナミックな謹厳さの価値を、将来にわたって伝えていくことの大切さも、グローバル化した社会での教育において忘れてはならないと思う。

参照:東大寺公慶堂および東大寺指図堂小冊子




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