2011年6月17日金曜日

五月病、いや六月病?

奥野 恒久

近代科学技術と距離を置き、「時代遅れ」であることで心身の健康をはかろうとしている私は、ブログというものと無縁の生活を送ってきた。読んだこともなければ、書いたこともない。それが今、「チーム政策」の一員として書こうとしている。だいたい、この言葉の意味も語源も分からない。調べてみると「Web上にLog(記録)する」ところから来たとか。なるほど、エッセイ風に、とにかく何かを書きとどめればいいようである。さて、何を書きとどめるか。「君が代」をめぐる最高裁判決が相次いで出ている。思うことがいくつかあるのだが、「それを書こうか」と、昼食時にI研究科長に話すと、「硬いなあ」と渋い顔をされた。困った。

今、思っていることの一つに、「力が入らないときがある」「元気の出ないときがある」という、相当以前から(中学生くらいからか?)の問題がある。生産性はあまりないのだが、6月に入って講義への出席者の減少現象を見ると、私同様、この時季「元気が出ない」と沈んでいる学生もいるのかもしれない。そんな学生への「エール」か「ヒント」か「慰め」くらいになるだろうか。

生活の一転する4月、そして5月は興奮と緊張のなか、無意識のうちにも張り切って突っ走るものである。慣れてないから力の入れ加減も分からず、何にでも力む。もちろん、精神面・肉体面での疲れはたまる。6月に入り、少し気が緩む。暑さと梅雨時分のうっとうしいのも加わって、気持ちと体がやたらと重い。好奇心は薄れ、集中力も持続せず、できることなら横になってだらだらしていたい。少し遅れての「五月病」、いや「六月病」か。

とはいえ、私はこの病気との付き合いが長く、いろいろと試してきた。その一、部屋を「抜本的に」片付ける。なかなか自分はできないが、これはおススメ。その二、時間をかけて相当遠くまで走る。例えば小銭をもって京都から大津くらいをめざし、ゆっくりゆっくりとにかく走る。琵琶湖が見えてきたら、展望が開けるのではとの希望をもって。その三、「鈍行」に一人乗って、日帰りないし一泊程度のミニ旅行に出る。できれば、京都より騒がしくないところがいい。普段の生活圏を離れると、感受性が敏感になる一方、日常酷使してきた神経を休ませることができる気がする。そしてその四、「明日から出直そう」と誓って大酒を飲む。これはうまく行ったためしがなく、翌日は吐き気をともなう自己嫌悪で、自分が情けなくなることもしばしば。そのほか、まあいろいろやってきた。

それに昨今の私は、この病気の深刻度を軽減する術を身に着けつつあるようなのだ。第一は散歩。早朝、1時間弱歩くのだが、これが私にとって唯一健康にいいことであり、精神状態管理策でもある。第二は、日記というほどではないが簡単なメモを手帳に書きとどめる。書かれているのは、健康・精神状態と体重と飲酒量。昨年の手帳を携帯し、時折見返すと、「なるほど、昨年のこの時季も体調を崩していたのか」「そうか」と妙な安心をさせてくれる。そして最後は、「空元気」。これの計り知れない効用については、いずれ機会があれば。

(奥野恒久)