2011年6月15日水曜日

日中学術交流雑感

坂本 勝

中国との学術交流を振り返ると、1994年8月下旬から9月上旬にかけて「日中行政学交流委員会」の一員
として北京を訪問し、民族飯店での研究会で「日米の公務員制度改革の動向」と題して報告したのが、
学術交流のはじまりでした。* この研究会の終了後、訪問団一行が「中南海」で、日本の内閣官房長官に
相当する国務委員兼国務院秘書長の罗干氏と面談したことなどが懐かしく思い出されます。

 
北京「民族飯店」での日中行政学交流委員会のメンバーと一緒に。

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南京科挙試験場跡資料館にて。


上海の研究会では、復旦大学の林尚立副教授(国際関係公共事務学院の現院長)の「中国の分税制の下での中央と地方関係」と題する報告の終了後、浦東新区を見学しましたが、94年当時の浦東地区はほとんど更地のような状態でしたので、現在の浦東地区の発展ぶりには驚嘆させられます。





訪問先の南京(明時代の都)では、南京城、孔子廟とそれに隣接する科挙の試験場跡などを見学し、**当時の官吏登用試験の問題・解答やカンニング下着などの展示に感激したことが思い出されます。
その後、北京、上海の大学との研究交流を経て、本年3月には、政策学部・政策学研究科と中国の大学との学術交流の予備的話し合いをするために、上海の復旦大学と華東政法大学を訪問する機会がありました。近年、中国の経済・政治の近代化、グローバル化の進展に伴い、中国の大学では、政治学・公共管理学の教育・研究の比重が高まるようになってきています。
2001年のWTO加盟を契機に、国際基準の人材育成を目的として、24の拠点大学に設置された公共管理学修士(MPA)教育コースは―公務員8割・公営企業職員2割の社会人対象―、2010年現在、100の大学において設置されるまでになっています。** このMPA教育コースは、復旦大学では「国際関係公共事務学院」に、また、華東政法大学では「政治学与公共管理学院」に設置されており、本学法学部は、2008年4月同学院との学術交流一般協定を締結しています。
さて、中国の有力拠点大学である復旦大学の「国際関係公共事務学院」との学術交流についてですが、北川先生、金先生とともに同大学院の顧麗梅副教授、陳雲副教授と予備的な話し合いを行い、同大学院の院長林尚立教授と副院長呉心伯教授の同意のもとに、本年秋頃までを目途に学術交流の一般協定を締結する手はずになっています(http://www.sirpa.fudan.edu.cn/)。


復旦大学国際関係公共事務学院の陳・顧先生と北川・金先生と一緒に。


復旦大学 国際関係公共事務学院の院生たちと一緒に。

この話し合いの翌日、同学院の陳雲副教授の受講生たちに、「公務員の人材育成の課題―日米中比較―」と題して講義する機会がありましたが、院生たちのきらきらした目の輝きがいまでも印象に残っています。
次に、中国における法学・政治学の教育研究の有力大学である華東政法大学の「政治学研究院」との学術交流の話し合いについてですが、こちらの方は、親日家の院長李路曲教授と龍谷大学に留学経験のある副院長袁峰教授の意向もあって順調に進展し、本年6月28日に学術交流の一般協定を締結する運びになっています。
 華東政法大学の「政治学研究院」は、一般院生の政治学修士教育を目的として、2008年2月に設立された大学院です。華東政法大学の設立は1952年ですが、その前身は1919年に設立されたミッション系の「聖ヨハネ約翰大学」(St. John's University)です。孫文の妻の宋慶齢、蒋介石の妻の宋美齢姉妹の弟が卒業した大学ということで、中国では名門の伝統校として知られています(http://psi.ecupl.edu.cn/home/index_cn.asp)。
本年4月に発足した政策学部・政策学研究科は、海外の大学との学術教育交流を通じて、地域社会の課題を国際的な観点から解決できる人材育成を目指していますが、学術研究交流に意欲的な華東政法大学「政治学研究院」と復旦大学「国際関係公共事務学院」との間に一般協定を締結することは、日中の学術研究・教育活動の発展にとって非常に有益であると思われます。今後、学術交流協定が絵に描いた餅で終わることがないように、学術交流の実績を重ねていく必要のあることは申すまでもありません。この協定の締結を契機に、海外の大学との学術交流がさらに進展していくように願っています。

* 日中行政学交流については、片岡寛光「日中行政学交流委員会’94年度訪中報告」  『季刊行政管理研究』(1994.12, No. 68)として紹介されている。
** 今から14000年以上前の随時代の587年に成立した科挙制度は、清時代の1904年を
  最後に実施されなくなったが、それから90年経って、日中行政学交流の最中9月に、  公務員試験が初めて実施されている。科挙制度については、宮崎市定『科挙―中国  の試験地獄』(中公新書)が詳しい。
*** 中国のMPA教育については、拙著『行政学修士教育と人材育成』(公人の友社)、   拙 稿「公務員の人材育成の視点」『龍谷法学』(第42巻第4号)で検討している。