2014年10月22日水曜日

映画雑感―リンカーン vs ペンドルトン

坂本 勝

先日、スピルバーグ監督『リンカーン』を鑑賞する機会がありました。
リンカーン大統領(Abraham Lincoln)は、南北戦争中の1863年に「奴隷解放宣言」を出しますが、奴隷制度を永久に廃止するためには憲法の改正が必要と考え、「合衆国憲法修正第13条」の制定を目指します。

この映画は、リンカーンがいかにして下院での反対派の強い抵抗を抑え、「合衆国憲法修正第13条」を可決したか、下院での「修正条項」可決の政治過程を描いています。「合衆国憲法修正第13条」は、リンカーンの共和党が多数を占める上院では1864年4月、賛成38票・反対6票で可決されますが、下院では、賛成93票・反対65票で否決され、3分の2の賛成を得るのに13票不足していました。
そこで、リンカーンは、猟官制(spoils system)―大統領選挙に勝利した政党が公職の任命権を握る制度―の任命権を駆使して、1864年の下院議員選挙で落選した民主党議員に公職を約束し、現金を手渡すなどの手段を講じて「賛成票」を投じるように多数派工作を行い、「合衆国憲法修正第13条」を可決、成立させます。



この映画では、リンカーンの議会工作に頑強に反対する民主党のペンドルトン下院議員の抵抗ぶりに、奴隷制廃止論者で共和党急進派のスティーブンス(Thaddeus Stevens)下院議員が「冷酷な爬虫類」、「国家反逆罪でとうの昔に縛り首になるべき男」と罵倒するシーンがあります。ペンドルトンと言えば、1883年に「連邦公務員法」を上程した政治家と同姓で気になり、彼の経歴を調べてみると、なんと同一人物でした。


ペンドルトン(George Pendleton)は、1864年の大統領選挙で民主党のMcClellan大統領候補の副大統領候補に指名され、リンカーンの再選を阻む選挙を戦います。リンカーンが大統領に再選されると、今度は下院の議場において、民主党下院議員の切り崩しにかかるリンカーンの多数派工作に抵抗します。


「合衆国憲法修正第13条」は、ペンドルトンらの抵抗を押し切り、1865年1月31日、賛成119票・反対56票・欠席棄権8票の僅差で可決、成立します。この憲法修正法案の成立に奔走したリンカーン大統領は、4月15日観劇中に凶弾に倒れる悲劇に見舞われます。
一方、ペンドルトンも、 1865年 第39期下院議員選挙で落選すると、ワシントンの政界から退き、故郷のオハイオ州に戻りますが、その後、1879年にオハイオ州選出の上院議員として再び中央政界に復帰します。そして、1883年には「猟官制」を廃止して「資格任用制」(merit system) ―資格能力で公職を任用する制度―を定める「ペンドルトン法」を上程します。


合衆国の公務員制度史で有名なペンドルトン法の制定には、「合衆国憲法修正第13条」と同様に民主、共和両党の党派的駆け引きが色濃く反映しています。1881年9月、共和党のガーフィールド大統領が公職志望の青年に暗殺されたことを契機に―アーサー副大統領が大統領に昇格―、「猟官制」改革の気運が一気に高まり、1882の下院議員選挙では、「猟官制」改革に消極的な共和党は、民主党の192議席に対して120議席と惨敗を喫します。

アーサー大統領は、2年後の大統領選挙で共和党が勝利して支持者に公職を提供できる見込みが少ないと判断し、民主党のペンドルトン上院議員が上程する公務員制度改革法案に賛成し、ペンドルトン法は1883年1月制定されます。ちなみに、ペンドルトンは、上下両院の議員時代にリンカーンとガーフィールドの二人の大統領の暗殺を経験しています。マッキンリーとケネディを加えると、合衆国の憲政史上4人の大統領が暗殺されていますが、4人とも偶然でしょうが、ゼロの付く年度の大統領選挙で当選しています。



この映画で、「奴隷制」の廃止に反対する差別主義者のように描かれているペンドルトンは、民主党の副大統領候補として、また下院議員として、1864年の大統領選挙・下院議員選挙と1865年の憲法修正法案の採決で、三度にわたりリンカーンの共和党に敗北しています。こうした挫折を通じて醸成されたリンカーンの共和党に対するペンドルトンの党派的な対抗意識が、18年後の共和党施政下で、今度は上院議員として、リンカーンが民主党議員に対する多数派工作で駆使した「猟官制」を廃止に追い込む連邦公務員法の制定へと駆り立てることになったように思われます。



この度、映画『リンカーン』を鑑賞して、合衆国の憲政史を飾る「合衆国憲法修正第13条」と「連邦公務員法」の制定に関して、「猟官制」をめぐるリンカーンとペンドルトンの二人の政治家の時空を越えた相克の因縁を感じざるを得ませんでした。
映画って本当にいいですね。