2015年12月9日水曜日

トリノ中央駅のピアノ



矢作です。

貴女はピアノを弾きますか。
私は、楽器はおろか、音楽がまったくダメでした。
次に生まれる時には、ピアノか、ギターを弾きたいな。

トリノ中央駅は、特急列車がイタリア半島のつま先から12時間走って到着する北の終着駅です。プラットホームは、ターミナル形式になっています。
そのプラットホームを抜け、コンコースを過ぎたところに1台のピアノが置いてあります。
「どなたでもご自由にお弾きください」というピアノです。

通りすがりのことですが、いつも、きっと、だれかがピアノの前に座っています。薄汚れたジーンズ姿のおやじだったり、Tシャツに半ズボンのお兄ちゃんだったり、大方、風采の上がらない男たちです。大きな、よれよれの紙袋をピアノの横に置いたりして弾いているのですが、それがだれであれ、とてもうまいのです。どういう家庭環境に育ったのかな、と感心してしまいます。

ジャズだったり、ソナタだったり、私の知らない曲ばかりなのですが、時々、「帰れ、ソレントへ」などのイタリア民謡を弾く人がいます。
そういう時は、取り巻くように立ち聴きしていた人が、突然、歌いはじめることがあります。それがまた、テノールのなかなかいい声なのです。びっくりしてしまいます。
トリノは、貧しいイタリア南部からの移民労働者の町でしたからね、懐かしい故郷の曲に「つい、歌ってしまう」ということでしょうか。

トリノに長期滞在した時の最後の晩に、「弾いているかしら・・」と遠回りして寄ってみました。弾いていました。初老のぽっちゃりデブの、頭髪の薄くなったおやじが弾いていました。楽譜も置かずに弾くのです。
ピアニッシモとフォルティシモが織りなす曲を幾通りも・・。終章を迎えると、感情の高ぶりもあるのか、鍵盤を激しく連弾し、その音響が低い天井のコンコースに響き渡りました。通りすがりの人もしばし立ち止まって目を見張り、耳を傾けていました。

その日は、いつものように知らない楽曲ですが、哀感のこもる短調のメロディーばかりでした。そうしたら突然、ショパンを弾きはじめたのです。いつも、研究室では、ショパンのCDをかけっぱなしにしています。
あしたは日本に帰る、という晩、聴きなれたショパンのピアノ曲。胸にこみ上げて来るものがありました。
ひと恋しいというのか、懐郷というのか。このジェット旅客機の時代にも、望郷というのがあるのですね。少々、わが身が滑稽でもありました。

貴女はピアノを弾きますか。