2011年2月21日月曜日

首相の給与(1)~市長は首相より高給だった~

坂本 勝

戦前、官公吏の給与は、現在のように労働の対価として位置づけられるのではなく、
官公吏の身分、体面を維持するために支給するという意味合いが強かった。
特に、官吏についてはその傾向が著しく、給与その他の待遇面でも、吏員との格差が
歴然としていた。親任官である首相と有給吏員である市長の年俸を比較すると、明治
22(1889)年5月に就任した神戸市の初代市長鳴滝幸恭の年俸1500円に対して、第2代
首相黒田清隆の年俸は9600円(初代伊藤博文も同額)、大臣の年俸は6000円であった。

しかし、その後の推移をみると明治期に歴然としていた首相と神戸市長との年俸格差は、
大正期に入ると次第に是正され、大正9(1920)年には両者の年俸は1万2000円で並び、
昭和2(1927)年には市長の年俸は2万円で首相の年俸をかなり上回っている。
昭和6年には、世界的な不況による緊縮財政の影響で若槻内閣が俸給令を改正した結果、
首相の年俸は9600円に2割減俸され、神戸市長の年俸も1万6000円に2割減俸された。

このように神戸市長の年俸額だけに注目すると(東京・大阪市長の年俸は2万円以上)、
市長の方が首相よりも高給であったが、叙位叙勲等の扱いについては大きな格差があった。
大正9年には、ようやく市町村長に叙勲の機会が開かれたが、一般の吏員はなお叙位叙勲
の対象から除外され、官吏と吏員との社会的待遇格差は非常に大きかった。

首相の年俸は昭和6年以降も増額されることはなかったが、有給吏員の神戸市長の年俸は
昭和9年以降2万円に増額され、終戦時も2万円であった。一方、終戦時の官吏の俸給は,
首相の年俸が9600円、国務大臣の年俸が6800円、各省次官の年俸が5800円という状況で
親任官である首相の年俸は、勅任官である次官の約1.7倍となっている。
戦前期の首相の年俸の推移をみると、終戦時の首相の年俸が明治18(1885)年の伊藤博文
首相の年俸と同額というのは、今日神話と化した井戸塀政治家のイメージを彷彿させてくれる。