2011年2月8日火曜日

新聞記事のその先を読む ―政策を考えることの難しさ―

只友 景士

はじめまして。政策学部ブログ初登場の只友景士(ただとも けいし)です。私は、「経済学」「財政学」「地方財政論」の講義を政策学部で担当する予定です。今日は、講義の合間にお話しする雑談的なお勉強ネタを書こうと思います。

 政策ブログへの初めての投稿は、「新聞記事のその先を読む ―政策を考えることの難しさ―」とします。「新聞記事のその裏を読む」でも良いのですが、「裏読み」や「穿った見方」をするのではなく、報道された事実のその先を考えたいので、「新聞記事のその先を読む」とします。


 その先を読む新聞記事として、「国民健康保険の滞納問題」を取り上げたいと思います。



 2011年2月4日厚生労働省は、「2009年度(平成21年度)国民健康保険(市町村)の財政状況について」を報道機関向けに発表しています。その中で、2009年度の国民健康保険料の収納率が88.01%となり、国民皆保険制度になって以来の最低の収納率を更新したと発表しています。そしてその原因として、「平成20年度(2008年度)以降の景気悪化の影響があるものと考えられる」としています。景気の悪化が、収納率の低下、つまり滞納を増やしていると分析しているのです。国民健康保険世帯の5世帯に1世帯は、納付が困難な状態にあることを示しており、深刻な状況にあると言わざるをえません。国民健康保険財政については、論点は数多くあるのですが、今回のブログではそれら全てに触れることは出来ないので、一点だけこの手の問題を考えることの難しさにだけ触れたいと思います。

2010年12月27日付け朝日新聞に下記のような記事が掲載されていました。


*****(以下は、2010年12月27日付け朝日新聞記事)*****

記事タイトル:子どもいる世帯、国保滞納が悪化 09年度、救済制度導入の影響?

 国民健康保険(国保)の保険料を滞納している世帯を厚生労働省が調べたところ、子どもがいる世帯の保険料収納率が2009年度は前年度より3ポイント以上下がったことが分かった。滞納しても子どもの保険資格は止めない救済制度の導入が影響した可能性もあると、厚労省はみている。国保の保険料を1年以上滞納すると保険証は「資格証明書」となり、医療費は医療機関の窓口でいったん全額払うことになる。だが09年4月からは、中学生以下の子どもには短期の保険証を交付するようにした。今年7月からは高校生相当の年齢にも広げた。
 この救済制度の影響を調べるため、厚労省は、全国から134市区町村を抽出し、資格証明書を出した世帯の08、09年度の納付状況を調べた。

 救済制度の対象となる中学生以下の子どもがいる世帯では、納めるべき保険料総額のうち実際に納めた額を示す収納率が09年度は9・5%で、08年度より3・2ポイント低下した。救済対象外の世帯が1・3ポイントの低下だったのに比べ、大きく落ちている。救済対象の子どもがいる世帯のうち、年間所得が100万円未満は2・4ポイントの低下だったが、所得が500万円以上の世帯だと7・0ポイント下がった。 地域別では、最も収納率が下がったのは近畿の5・6ポイント。関東甲信越は4・3ポイント、中国・四国も4・2ポイント。東海・北陸は0・5ポイントの低 下だった。調査では、市区町村の担当者の4人に1人が「救済制度の影響でモラルハザードが生じた」と回答。「少しずつでも納めるという約束に応じなくなった」との指摘が上がっている。

*****(以上が新聞記事)*****

 

この記事は、少し解説が必要でしょう。この記事は、厚生労働省から発表された報道発表「被保険者資格証明書交付世帯における保険料(税)の納付状況サンプル調査結果」(2010年12月21日付)が記事になったものです。先にみた2009年度国民健康保険財政の全国集計結果(2011年2月4日付)が発表される35日ほど前に発表されてものです。

この報道発表に基づく報道の要点を整理すると

(1)「子どものいる世帯」と「子どものいない世帯」における収納率を2008年度と2009年度と比較した。

(2)比較の結果、子どものいる世帯について2009年度の収納率が低下した。

(3)2009年度の子どものいる世帯の収納率の低下は、2009年度から始まった中学生以下の「子どもへの短期保険証」を交付(2010年7月から高校生以下に拡大された)していることが要因ではないか。

(4)自治体の担当者からは、救済措置の影響でモラルハザードが起きているとの指摘がある。

 厚生労働省の発表によるとこの調査は、2009年度から始まった中学生以下(2010年7月から高校生以下に拡大)の「子どもへの短期保険証」を交付出来るようにした制度改正の際の国会で「滞納を助長するのではないか」と懸念が出されたことから実施したようです。新聞記事の書き方からすると「国会での懸念の通り、滞納を助長した」と言うトーンで書かれていると言っても良いでしょう。

 確かに、滞納は良くないことです。滞納が増えると国保財政は危機に陥り、市町村からの財政援助を増やさなければならなくなります。「市町村の財政も厳しい折に、国保滞納者の増加による国保財政赤字までは負担できない。」との意見も出てくるでしょう。しかし、国民健康保険料の滞納問題を個人の不始末やモラルハザードだけで片付けるのはいささか乱暴で、一面的な議論になってしまうのではないでしょうか。滞納は良くないことですが、「払えるのに払わない人」も「払いたくても、払えなくて払わない人」を同列に扱うことは出来ないでしょう。この問題は、少しばかり複雑で悩ましい問題を抱えています。

 

それでは、国保の置かれている状況を少しみておきましょう。論点は沢山ありますが、今日は三つだけ挙げておきます。

(1)国保加入者の変化

 国保は、国民皆保険制度を維持するための基盤であり、最後の砦です。国保は、農林水産業者と自営業者のための健康保険として創設されましたが、その後の我が国の産業構造の転換などの結果、現在では、無職者が国保加入者の半数を占めるまでに到っていること、65歳以上の加入者が3割を占めるなど制度設立当初からすると現在は、その置かれている環境が大きく変わってしまいました。

(2)国保料負担が重い

 2001年度の少し古いデータですが、一世帯あたりの年間所得額が、国保153万円、政管健保237万円程度、組合健保381万円程度であり、この年間所得を基に算定した保険料率が、政管健保6.7%、組合健保4.6%であるのに対して、国保は10.2%と高くなっています。平均所得が低いために、保険料負担は他の保険制度と比べて相対的に重くなっていることが判ります。

(3)保険証がない人は受診抑制

 また、1987年から滞納者・未納者に対する罰則として、「資格証明書」という制度が導入されました。未納者・滞納者は、国民健康保険証ではなく「資格証明書」を発行されるようになりました。そして、「資格証明書」は、保険証とは異なり、医療機関の窓口で、一旦医療費の全額を支払わなければならない制度です。保険証があれば、医療機関での自己負担が3割で済むのですが、「資格証明書」では、かかった医療費を100%自己負担することになります。保険料を滞納していると医療費の自己負担が3割負担ではなく、全額負担させられることにより、未納状態で3割の自己負担で医療を受けるという制度へのただ乗りを許さないようにしたわけです。保険医協会が「資格証明書の人」と「国保一般加入者」の受診率を調査したところによると、「資格証明書」をもつ被保険者の受診率が、一般被保険者よりも30分の1,100分に1と極めて低いことが判ったそうです。未納・滞納状態にある人たちが、医療にアクセスすることが難しい状態にあることが判ったのです。更に、医療にアクセスできなかったことから病気の治療を受けられず、手遅れになり亡くなったなったという事例も報告されています。滞納者を減らそうと導入された制裁措置が、人の命に関わる問題を新たに引き起こしているのです。(以上のことは、国民健康保険中央会の資料全国保険医団体連合会(保団連)の資料を参照してください。)

 

政策を考える時には、このような悩ましい問題にしばしば直面します。

更に、国保問題の背景には、我が国の貧困問題が横たわっています。

 

◆毎日新聞の「無保険の子」特報から始まった。

 そして、毎日新聞の「無保険の子」特報(2008年6月)(一連の報道で、毎日新聞は2009年度の新聞協会賞を受賞)から変化の動きが始まりました。これまでは、親が国保料を滞納したために保険証を返還させられ、「資格証明書」に切り替えられ、医療費の全額自己負担を強いられるために医療を受診できない「無保険の子」の存在を報じました。この報道から「親が滞納して、無保険状態にある子ども」を救済する目的で、「子どもへの短期保険証」交付が可能となる国保法改正に繋がりました。この救済策の目的は、親の滞納で子どもが無保険になって、苦しまないようにすることにあります。この国保法改正は、子どもの権利を保障する立場からなされた改正であり、子ども施策の大いなる前進だったと言えます。

 

◆「無保険の子」解消と滞納の増加

 一方、国会で「滞納を助長する」と懸念した立場は、国保財政の収支を重視し、滞納による制裁措置が無くなるとこれまで払っていた人が払わなくなるのではないかと危惧していたのです。その危惧は、当たったと言えば当たったわけです。しかし、「これまで払っている人が払わなくなることを危惧する立場」からは、「無保険の子どもを無くす政策論」は出てこないでしょう。なぜなら「これまで払っている人が払わなくなることを危惧する立場」「「滞納を助長する」と懸念した立場」は、子どもの健康や命を取引材料に親に支払いを求める立場であるとも言えます。そうした立場からは、「無保険の子」が出る状態でないとその交渉カードは使えないのです。新聞記事の最後に「調査では、市区町村の担当者の4人に1人が「救済制度の影響でモラルハザードが生じた」と回答。「少しずつでも納めるという約束に応じなくなった」との指摘が上がっている。」と言う記述があります。従来の交渉カードが使えなくなってきたことを示唆しています。この記事からは『「子どもへの短期保険証交付」を止めるとモラルが向上し、収納率が上がるであろう』と言いたそうな感じがします。その様な考えは子どもの健康と命を取引材料にするものだと言えます。「子どもへの短期保険証」交付が可能となったことで、これまで払ってきた人の中から払わない人が出てきたことを収納率の低下の事実は示しています。しかし、収納率低下の事実を逆から考えると「これまでは、子どものために払ってきたのだ」と言っても良いでしょう。子どもを思う親心に依存した徴収方法であるといえます。

 それでは、もしももう一度子どもの健康と命を取引材料にすると何が起きるのでしょうか?子どもの健康と命を取引材料にされて、再度国保料の支払いに応じる世帯もあり、一定収納率の向上も図れるでしょう。しかし、子どもの健康と命を取引材料に保険料の支払いを迫ってもやはり支払いに応じない親の存在は最後まで問題として残るでしょう。そんな親の子どもは、永遠に無保険の子どものままであり、医療を受診できないために健康と命の危機の中で生きていかなければなりません。それでは、無保険の子どもの苦しみは救えません。

 

◆新聞記事のその先を読む-政策を考えることの難しさ-

 「子どものいる世帯の保険料収納率の低下」という現象だけをみても、「子どもの健康と命を取引材料に、保険料収納率の向上と財政の収支問題を重視するのか」、それとも「保険料収納率の低下の裏に隠れている「無保険の子ども」問題を重視し、子どもの命と健康を取引材料ではなく達成目標にするのか。」と着眼点が異なると導き出される政策論は天と地ほど違ってくるのです。詳しくは別の機会に譲りますが、「子どもへの短期保険証」を交付する政策は、子ども自身を政策ターゲットに据え、子ども自身のケイパビリティ(生き方の幅)を保障しようとするものです。従来の国保政策が、財政収支の均衡化を図ることに重点を置き、受益者負担を強化したり、滞納問題を保険料負担義務者への「制裁措置」で解決を図ろうとして、子どもまで巻き添えにしていた状況から子どものケイパビリティ保障の政策に転換した訳でその意義は大きいと思います。まさに、そこに「新聞記事のその先を読む-政策を考えることの難しさ-」があるのです。