2011年4月2日土曜日

学生を馬鹿にするな

深尾 昌峰

朝日新聞の3月31日の報道によると、文部科学省が、東日本大震災に対するボランティア活動を単位化するように大学に要請したと報道された。「文部科学省 は全国の国公私立大学に対し、学生が東日本大震災の被災者支援ボランティアに参加した場合、その活動を大学の単位として認めるよう要請する方針 を固めた。震災から約3週間がたち、被災地でも徐々にボランティアの受け入れ態勢が整うなか、学生による被災地支援の動きを後押しするねらいがある。」と ある。まだ、正式なリリース文を私は確認していないので、迂闊なことは言えないが、これが事実だとすれば、大きな問題があると考えている。

「単位化」は、一見ボランティア活動を促すいいことのように思われるかもしれないが、「単位」という権力で学生を縛ってしまうという問題をはらんでいる。 そもそも、被災地、被災者に何か出来ることはないだろうかと知恵を絞り、身体を動かそうとしている学生に対して失礼である。そういった自発性や意志を「単 位」などというものに収奪させては決してならない。

大学としても、そもそも学修の成績である単位をどういった基準で認定するかは至難で ある。「被災地に行って活動してきたから2単位」なんていう単純なことを行ってしまっては高等教育機関としては誠に恥ずかしい。仮に単位化を行いとすれ ば、課題設定→活動→振り返り(言語化)→活動→振り返りのような学びをそこに内包させ、評価できる仕組み作りをおこなうべきである。最近実践が厚くなっ てきている「サービスラーニング」や「キャップストーン」と称されるようなプログラムがそれにあたるであろう。ボランティア活動を行ったという事実を単位 化するのでなく、ボランティア活動を通じて何を学び、前後の講義やディスカッションで知を深め、どのように成長したかを評価し単位化するというものだ。
また、日常でも多くの学生はNPOの活動に参加している。今、この瞬間も、ボランティアとして公益を支えている学生はいる。その人たちは単位化されないというのもおかしな話である。

では、どうすればいいのか。大学は邪魔をしなければいい。そして少しの応援をすればいい。情報提供や後方支援を充実させればいい。また、大学という知の集 積された組織だからこそできること、教育研究機関だからこそできることがあるはずだ。それを学部単位でもいい、その専門性を活かした貢献を模索することが 大切だ。

そして、学生よ。自分の信念に従って行動したらいい。いてもたってもいられない君。君にも出来ることは沢山ある。実際に身体を 動かして貢献したい諸君は、現地に行くのもいいだろう。京都で救援物資の仕分けにあたるのもいいだろう。時間がなかなかとれない諸君は、学内で募金を呼び かけても良いだろう。
ただ一点。これだけは守って欲しい。この災害ボランティア活動は君たちのためにあるのではない。被災地で理不尽な困難に向 きあっておられる被災者の方々のためにある。君たちの自己満足や欲求を満たすためにボランティア活動はないことは肝に銘じて欲しい。だから、何が求められ ているのか、何をすることが被災された方々のためになるのかということは考え抜いて欲しい。様々なチャンネルを通じて情報を収集してほしい。「テレビで 言っていたから」というだけでは君らが活動を起こすときに参考にする情報としては心許ない。実際に活動の現場に入っている、様々な人たちの意見を聞きなが ら進めてみよう。
また、自立できる環境かどうかも考えよう。今の段階では、食料や寝る場所も被災した方々にリソースが割り当てられるべきだ。そのリソースを君たちが食ってしまったら、助けに行っているのに迷惑な存在になってしまう。それはきっと、君たちにとっても本望でないはずだ。

ただ、過度に萎縮する必要もない。自分たちの思い込みで行動した場合、現場で怒られることもいっぱいあるだろう。それでいい。でも、その怒られた意味、受 け入れられなかった意味を、他者のせいにせず、自分たちを謙虚に顧みて活動を修正して欲しい。その営みがきっと君自体を成長させる。学生の君たちの感性に 基づいて、君たちにしかできないことがあると私は信じている。

4月1日 入学式を終えて