2011年6月15日水曜日

石鹸

中森 孝文

石鹸の歴史は紀元前に遡る。日本石鹸洗剤工業会によると、古代ローマ時代には羊を焼いて神に供えるという風習があり、あぶった肉から落ちた羊の脂と木の灰とがまざりあって自然にできた石鹸らしきものは「油をよく落とす不思議な土」として珍しがられたという。確かに、石鹸はなぜ油汚れを落とすのか不思議である。水と油は通常は混ざり合わない。ところが、石鹸は親水基と親油基(疎水基)という水に馴染みやすい性質と油に馴染みやすい性質を併せ持っており、衣類などについた油を水の方に溶かしだして汚れを落とすのだ。水と油のような性質の異なる物質の界面で、その緊張を和らげる働きをしている石鹸は界面活性剤とも呼ばれている。界面活性剤は性質の違うもの同士の仲を取り持つ仲人のような存在なのだ。

京都の三条通高倉を東に入ったところに「京都しゃぼんや」という手作りにこだわる石鹸屋さんがある。干菓子そっくりの石鹸をはじめ、胡麻や黒蜜、生姜といった本物の食材で作ったまるでお菓子のような石鹸は、使うのがもったいない気持ちにさせる。最近では、京都の人気スポットである「とようけ屋山本」の豆乳で作った石鹸や、丹波のワイン醸造家の赤ワイン、宇治の煎茶で作った石鹸など、地域の名産品とのコラボレーション(連携)による石鹸が登場して人気を呼んでいる。なぜ丹波の赤ワインなのかと社長である石鹸職人の大橋氏に聞いてみたところ、自分の納得のいく赤色が、ある特定の丹波の赤ワインでしか出せなかったそうだ。煎茶にしても、アルカリ成分とお茶の成分が混ざり合うと茶色になってしまい、宇治の「かねまた」の煎茶職人である「チャムリエ」の谷口氏のブレンドした煎茶でないと綺麗な緑色にならないらしい。

このようなこだわりの石鹸が話題を呼び、雑誌やTVで紹介される機会が増えたため、大手百貨店などから大口の注文が舞い込んでくるという。ところが、それらをすべてお断りしているそうだ。自分の納得のいく商品を供給するために手作りにこだわっているからだ。

商品があったら売れたはずなのに供給できなかったために利益を逃してしまうことを「機会損失」という。大手コンビニエンスストアでは、この機会損失を最小限にするために、気象予報まで採り入れて品切れを防いでいる。このような視点から京都しゃぼんやを眺めてみると、なんて不合理な経営をしているのかと思わないでもない。ところが、あるTV局が京都の大手タクシー運転手に「紹介したい京都の名所」を尋ねたところ、先斗町と将軍塚の次に京都しゃぼんやが第三位に挙げられたそうだ。大橋氏によると、手作りと京都へのこだわりが結果的に功を奏したのではないかという。手作りであるために、三条のお店でしか販売できず、欲しい人はお店に買いに行くしかない。買いに来てくれた人には、とようけ屋山本やチャムリエ、大原の紫蘇といったコラボレーションの相手の魅力を丁寧に説明するという。石鹸を買いに来た客はその足で豆腐や紫葉漬けを味わいに行くそうだ。つまり、本来なら石鹸屋と豆腐屋、漬け物屋や煎茶業といった全く異なる分野の匠が、石鹸という界面活性剤によって融合しているのである。その結果、顧客に新しい京都の楽しみ方を提供しているのだ。

一方、今の日本の政治を眺めると、水と油の界面ばかりが目立って混ざり合う気配がない。大震災からの復興を願う国民の共通の気持ちが、界面活性剤として機能しても良さそうなのにと思うのは筆者だけではあるまい。

界面活性剤を入れた液体(石鹸水)に息を吹き込むと泡ができる。いわゆるシャボン玉であるが、これは水と界面活性剤のバランスが保たれてはじめて丸い形を維持できる。微妙なバランスが崩れると瞬く間に消えて無くなってしまう。大連立の声すら聞こえるものの、果たして綺麗な丸になるのかどうか疑わしい。

大橋氏にコラボレーションのコツを尋ねた。「本気で地域を良くしたいと思うこと」だそうだ。