2011年6月30日木曜日

中国のパンダと自然保護区

谷垣 岳人

中国の自然保護区に年に数回行きます。生物多様性の保全政策についての聞き取り調査のためです。今年は上野動物園のパンダ、リーリーとシンシンの生まれ故郷、四川省雅安の中国大熊猫(パンダ)研究中心雅安碧峰峡基地(以下、雅安パンダ研究センター)と、四川省成都の成都大熊猫繁育研究基地(以下、成都パンダ繁殖研究基地)に行きました。

中国の子供たちも社会見学


中国というと、13億人という世界一の人口をかかえながら爆発的な経済発展を遂げており、中国の自然環境を思い描くことは難しいかもしれません。しかし、中国には、乾燥した砂漠や草原から高温多湿な熱帯林まで多様な生態系があります。それぞれの生態系には、実に多くの生き物が暮らしています。
種数でみると、中国の哺乳類の種数は556種と世界第2位で、爬虫類は4位、両生類も6位です。鳥類は第8位ですが、種数は1329種にも及びます(ちなみに日本は542種、面積比から考えると日本も意外に多いのです)。さらに中国だけに生息する固有種も多く、哺乳類では20%(109種/556種中)が固有種です。このように、実は中国は地球の生物多様性のホットスポットの一つなのです。

しかし、人口増加や経済活動の拡大に伴い、多くの生き物が絶滅の危機にあります。国際自然保護連合(IUCN)の「レッドリスト 2010年度版」によると中国の絶滅危惧種数は840種です。その象徴的な動物はパンダ(中国語で大熊猫)です。パンダは中国の固有種で、その推定個体数はわずか1600頭です。愛らしい姿から動物園の人気者ですが、野生個体は中国の陝西省と四川省だけに生息しています。かつての分布域は広く、化石の記録からは中国の東半分くらいの範囲に生息していました。

パンダの特徴は、白黒の姿だけでなく、クマの仲間という進化的な系譜を忘れたかのような食性です。もともと雑食性のクマの仲間であるパンダ。なぜ竹しか食べなくなったのでしょうか(※)。そのわけは、200万年前頃の氷河期の到来だと考えられています。氷河期の到来により、餌となる生物が激減し、なかでも比較的量の多い植物に主食をスイッチして、厳しい環境を生き延びたと考えられています。(※正確には小動物などの肉も多少は食べるそうです)

竹という栄養の乏しい餌にスイッチするために、パンダの身体で進化した部分と進化していない部分があります。

大きく進化したのは、物をつかめるようになった手です。もともとクマの仲間は、指が前方向にだけ伸びています。なので、人間の親指のように指どうしが向き合わず、物をつかむことができません。ところが、パンダは手首の骨の一部が発達して、6本目の指があるのです。いわゆるパンダの親指です。これを巧みに操り竹を握ります。成都パンダ繁殖研究基地で、特別に子パンダの6本目の指を触らしてもらったのですが、指と言うより突出した肉球のような、柔らかく不思議な指でした。また固い竹の幹(桿)をかみ砕くため顎の筋肉が発達しています。だから、あの愛らしい丸顔なのです。

リラックス食事モード
パンダの親指

一方、進化していないのは消化器官です。竹のような繊維質が多く栄養の乏しい餌を食べ、ほとんど未消化の糞として排出します。つまり胃腸は、牛などの草食動物のように消化効率を上げる進化はせずに、ご先祖のクマ時代の名残を残しているわけです。なので、一日の大半の時間を、竹林に座り込み食事にあてています。パンダは究極のスローフード実践者ともいえます。


中国はパンダをはじめとする、生物多様性の保護に力をいれています。
パンダはアンブレラ種と言われていて、パンダを守ることで同じ地域に生息する他の生物たちも守ることができます。パンダが傘をさす姿を想像してみてください。その足下には、多くの生き物が雨を避けて暮らしていける、そんなイメージです。パンダ保護では、2つの方法、つまり保護区の新設と保護区外での繁殖をおこなっています。パンダ分布域を自然保護区にして、樹木伐採や密猟などを取り締まっています。中には日本のカラマツを植えた植林地をパンダが暮らせる自然林に戻すプロジェクトを進めている自然保護区もあります。

現在のパンダ分布域


パンダ保護区の実数は増えてきていますが、それぞれの面積は小さく、分断化しています。このことがパンダの生息に思わぬ影響を与えます。餌となる竹は、60-70年に一度、地域で一斉に花を咲かした後に枯死するという、不思議な性質があります。保護区が小さい場合、その一斉枯死は保護区全体に及び、逃げ場のないパンダは餓死します。また、保護区が小さいとパンダの近親交配が起こり、遺伝的な多様性が減ることも問題視されています。そこで保護区どうしをつなげる回廊づくりも進んでいます。

一方、保護区外での繁殖の取り組みの中心地が、今回訪問した2カ所、雅安パンダ研究センターと成都パンダ繁殖研究基地です。
パンダの繁殖は、もともと四川省の臥龍自然保護区に臥龍中国パンダ保護研究センターで主におこなわれていました。しかし、2008年5月におきた四川大地震で臥龍中国パンダ保護研究センターが使えなくなり、ほとんどのパンダが雅安パンダ研究センターに引っ越しました。四川大地震はマグニチュード8もあり、死者行方不明者は8万人以上でした。山奥の村は壊滅的な被害を受け、その場での再建を断念して、村ごと引っ越して新しい町ができていました。私が2011年に訪問したときも、臥龍自然保護区へ続く道は、山肌が大きく崩れたままで、山の谷を走る道も、なんとか土砂をどけて通れる状態でした。

地震による崖崩れで消失した村


地震後に作られた新しい町


雅安パンダ研究センターには81頭のパンダが飼育されており、2010年には20頭の子パンダが生まれました。これがパンダの幼稚園というコーナーで集団で飼育されており(生物学的には単独行動をするパンダを集団で育てることはおかしいのですが)、観光客の人気を集めています(これまた商業主義的で、繁殖後は自然復帰させるためという、当センターの趣旨からずれていて問題があります)。実際にここで生まれた個体を自然に復帰させるという試みは今のところ失敗しています。

パンダ幼稚園


子パンダ:その愛らしさは野生動物とは思えない


うまくいっているのは、パンダのレンタルビジネスです。日本をはじめとする世界各国へ、莫大なレンタル料で貸し出しています。この春から東京の上野動物園で展示が始まった2頭も、この雅安パンダ研究センターからやってきた個体です。このレンタル期間が過ぎると、また中国に戻ってきます。そんな帰国子女ならぬ帰国パンダが余生を過ごすエリアもありました。

帰国したパンダたちのエリア


中国のでパンダ保護政策は、人工養殖で個体数を増やし、さらに野生個体の生息域に保護区を作ることで絶滅の危機を脱しようとしています。そのため、保護区にもともと暮らしていた人を、保護区外に移住させるという、生態移民政策も行われています。この保護区運営と地域住民との軋轢解消は、世界中の自然保護区で起こっている問題であり、生物多様性条約第7回締結国会議COP7での議題の一つでした。中国では、砂漠化を防止するために、乾燥地からの生態移民が多いのですが、移住した住民が不利益を被っている事例もあります。では、パンダ保護区での生態移民はうまく進んだのでしょうか。これは今後の調査課題です。