2012年7月19日木曜日

最古の風呂

中森 孝文

先日、東大寺にある最古の風呂を見る機会に恵まれた。鎌倉時代に作られたという直径2mほどの釜は、今は使われていないために錆びてはいるものの、非常にきれいな円形をしており、肉厚でありながら細かな仕上げが施され、当時の高い鋳物技術をうかがうことができる。南大門をくぐって大仏殿の東側を通り二月堂に向かう坂のあがり口に、その釜が設置されている湯屋(風呂)がある。一見しただけでは湯屋とはわからないその建物で、東大寺の方に寺と風呂との関係について解説していただいた。

東大寺の湯屋


 我が国の風呂は、床下から蒸気をあげる蒸し風呂から、釜でお湯をわかし、そのお湯で体を清めるという掛かり湯、そして、湯船につかるというものに進化していったそうだ。東大寺にある風呂は、掛かり湯タイプのものとして最古のものらしい。蒸気を上げるタイプのものは、法華寺に現存しており、「から風呂」と呼ばれている。から風呂は、光明皇后が民の健康を願い、人々の体を清めるために建設され、千人もの人々に風呂を提供(施浴)されたとか。千人目は皮膚が化膿したひどい状態であったにも関わらず、分け隔てなく施浴され膿みを拭われたら、実は阿しゅく如来の化身であったとの言い伝えがある。総国分寺である東大寺の最古の風呂といい、総国分尼寺である法華寺の から風呂といい、寺と風呂との関係は深いようだ。
 寺には多くの人々が奉仕活動に訪れる。筆者も子供の頃は、生まれ育った田舎の寺社や「お不動さん」などの草刈りなどを手伝ったものだ。当然のことながら汗をかく。鎌倉時代には個人の家に風呂があるわけでもなく、寺が奉仕の後の汗を流す場所として風呂を用意した。このため、寺に風呂があるのだという。その後、寄進活動と結びつき、風呂に入るために金銭を支払う「銭湯」という習慣ができる。湯船につかった時に「あー極楽」と思わず言ってしまうのは、寺での入浴の名残だとのこと。他にも「代わりばんこ」という言葉は、風呂を沸かす際に交代しながら鞴(ふいご)で風を送ったことに由来していたり、蒸し風呂の床に座る際に敷いた布が風呂敷であり、その後に風呂の着替えをくるんで持ち歩くようになり、今日的な風呂敷の用途に変化していったらしい。
 また、湯屋は単に体を洗う場所というものだけでなく、お水取りのような重要な行事を執り行う際に、体を清め、そこで心を一つにする場所でもあるとのこと。つまり風呂というものは体の表面的な汚れだけでなく、心の垢を落として人々の気持ちを一つにする場所でもあるのだ。
 
 本学では、新しい研究棟の建設計画をたてているようだ。学生や教員あるいは地域の方々と活発に交流するための集合空間の整備に力を入れるという。そのため共同の水場を設けることなどが検討されているようだ。最古の風呂を見習って、いっそのこと共同の湯屋でも作ったらどうだろう。少々風呂敷の広げ過ぎか。

最古の風呂釜