2012年11月22日木曜日

『沈黙の春』

矢作 弘

私は日本の新聞で関連の記事を読む機会がなかったが、コラムか、論説を載せた全国紙が
あっただろうか。今年は、R.カーソン著『沈黙の春』が出版されてちょうど半世紀にあたる。農薬
などの化学物質の残留性を告発し、我々が生態系の多様性について考えるきっかけをつくった
本である。そこでは、強大な製薬資本の営利主義が暴かれていた。

「沈黙の春」というのは、「(春が来たのに)朝早くおきても鳥の鳴き声がしない」という出来事に
表題をとっている。虫や小鳥、あるいは野花などが根絶の危機にあることに、警鐘を鳴らす書で
あった。小さな生き物の存続を認める――そのことが人間社会の持続可能性にとって本質的で
あることを、幾多の事例を紹介し、懇切丁寧に物語っている。

J.ジェイコブズ著『アメリカ大都市の死と生』は、1961年に出版された。彼女が『死と生』で示した
コミュニティ再生のための「新しい原理」は、多彩なものが混在していること、そして小ブロックに
多様性が維持されていること――である。ニューヨークやボストンには、そうしたコミュニティが
沢山残っている。遠方の摩天楼などよりよっぽど貴重な都市の財産なのに、デベロッパーと官僚
主義が結託し、多様性ゆたかな、小さなコミュニティをブルドーザーでぶち壊している、と糾弾した
のだった。

自然は生きているが、ジェイコブズは、「都市も有機体である」と考えていた。ふたりの女性が、
多様性や小さなものの危機を論じたことには、生む性としての「雌の直感」があったと思う。
また、2書が時を同じくして出版されたことには、同時代性があった。
近代主義を謳歌する思潮に対し、早々と欺瞞性を嗅ぎ取っていたのである。